ミヅキの冒険~Adventure diary~

今、旅立ちの時。

プロローグ

―旅立ちの時―

 

 

 

桜が見える 月が見える

 

呼吸も忘れ それだけを見ている

 

沈む感覚もなく 浮く感覚もない

 

聴こえるのは 規則正しく鳴る奇妙な音

 

水面に落ちる 桜の花びらの音

 

もはや泣き声さえ 聴こえない

 

落とされる暖かさも 一瞬のうちに消えていく

 

その視界が黒色に 染まったとしても

 

ただ不思議と 恐怖はない

 

眠るように 目を閉じて

 

深く深く 息を吸って

 

月明かり 照らすように

 

舞台に 幻想に

 

響け

 

 

「今、旅立ちの時!」

第1章 1話

―冒険日記の始まりに過ぎない―

 

 

 

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エキスパの森にて

 Adventure diary。

 17歳の私、ミヅキがこれから“旅立ち”で経験したことを記録していくであろう、冒険日記。それがあわよくば時を越えて他の人の手に渡り、繋がる冒険の続きを書いてくれる人がいればいいなという願いとともに読まれたそのとき、冒険日記という物語に変わるのを楽しみにこの文を書こうと思う。

 

 

 矢が空中を切り裂いて飛んでいく音がして、その後にヤマシカがか弱く鳴いた。素早く上ケモノ肉を取って、ポケットに詰め込む。

「ありがとうございました」

 挨拶はシカ狩りの基本である。私たちが生きていけるのはこの広大なハイラルにおける豊かな自然のおかげ。感謝を示すのは当たり前のことだ。静かになった森の中、私は騎士の弓をしまう。

「時間だ! 戻ってくれ!」

 ドダンツさんが呼んだので戻ることにした。

「はい!」

 返事もシカ狩りの基本である。

 

 

「全部で6匹とはガール……なかなかやるじゃないか」

 笑顔で褒めてくれるドダンツさん。

 ドダンツさんはシカ狩りの依頼主さんだ。普段はここ、ハテノ牧場で仕事をしている。

「そんなことないですよ!」

 そう言いながら嬉しさに顔が緩んでしまう私。昨日は5匹だったので1匹多くシカが狩れたのだ。

「ホイ、お駄賃だ……」

 ドダンツさんはポケットに手を入れゴソゴソした後、青ルピーを出した。ルピーとはハイラルの通貨で、青ルピーは緑ルピー5個の価値がある。ヒョイと投げられたそれは、空中を飛んでから私の手に落ちた。カチャンと景気のいい音がする。

「ありがとうございます!」

 お礼を言ってそのままポケットに突っ込んだ。ポケットに入る量が多いのは、ハイラルの掟……である。

「ミヅキは顔に出るタイプだよな」

 ボソッとドダンツさんが呟いた声はきちんと私の尖った耳に届いているわけで。知ってますよそんなこと。私はどうせポーカーフェイスとかできないハイリア人なんですよ、と勝手に思っていたらドダンツさんが言った。

「とはいえあの森のシカ……また増えると困るし……というわけでもう一度お願いできないかな?」

「オッケー」

 私はよくシカ狩りをやっていたという“師匠”の真似をして言った後、指をグーサインにして突き出した。その後シカ狩りを5回もやったのは言うまでもない。

 

 

「そこまでだ」

 私が何度目かのお駄賃を貰っているとき、突然木の枝が私とドダンツさんの間に現れた。

「わっ!」

 一瞬木の枝が口を開いて喋っているかと思ったが、そうではないらしい。持ち主はトコユ姉さんだった。

「トコユ姉さん!」

「……そんなに驚くか?」

 驚く私に苦笑している。そりゃあいきなり木の枝が出てきたので。

 トコユ姉さんはドダンツさんの娘である。朝からこのハテノ牧場で働き、シカ狩りで通う私にとって姉のような存在。ときどきハテノビーチに巣食う魔物を一緒に退治することもある。そんなトコユ姉さんが怒っている。

「……父さん」

 あれ、私じゃなくてドダンツさんに?

「なんだトコユ。シカ狩りやりたいのか?」

 そうじゃないと思いますドダンツさん。

「……違う。最近シカ狩りをミヅキにやらせ過ぎじゃないか」

「そうか? ミヅキは腕が立つからな。森を荒らされることも少なくなってきたし、いいと思うが」

「……今何時か分かるか」

「10時ぐらいかな」

「え、10時!?」

 驚いた。確かシカ狩りを始めたのが6時ぐらいだったから、そう考えると4時間ほど時間が経っていることになる。

「ミヅキはイースト・ウィンドさんで手伝いもしなければならないだろうから、このぐらいで止めたほうがいい」

 イースト・ウィンドとは私の家のことだ。よろず屋を経営している。

「確かにそうだな……」

 ドダンツさんは頷いて、私のほうを見た。

「よっし! これからはずるずると続けないように心掛けよう。とはいえあの森のシカ……また増えると困るし……」

「ふふっ、ドダンツさんそれもう口癖ですよ! 分かりました。私も気をつけます」

 断れるハイリア人になろうと決意した。

「それでミヅキ、お詫び……こんなものしかないが……たいした荷物にはならないはず」

 トコユさんはごそごそと何かを出す。

 フレッシュミルクだ! しかも10本!

「ありがとうございます! そんな大したことしてないですが……」

 くれたものは貰う。ハイラルの掟。

「なんていうかその……いつもありがとうだ」

 そう言って照れながら目線を逸らすトコユ姉さん。こちらこそですと微笑む私。すると私たちの会話が途切れたのを見計らって、ドダンツさんがひっそりと告げた。

「ミヅキ、何か忘れてないか」

「え? 忘れてること?」

「あ……」

 トコユ姉さんが口を開いた。

イースト・ウィンドさんの手伝いのことか?」

 あっ……まったくもって忘れてた!

「す、すぐに行きます!」

 走り出そうとして思い出した。挨拶!

「ありがとうございました!」

「また頼むよ!」

 ドダンツさんとトコユ姉さんが手を振ってくれているのを横目で見ながらハテノ牧場を出る。そうだ、リンゴの木の下にいるトコユ姉さんのお爺さんにも挨拶。

「おはようございます!」

「はァ……」

 朝から元気だなと言って、お爺さんも手を振ってくれた。

 

 

AM10:30

 

 ハテノ牧場を出て、緩やかな坂を下る。

 ここから見るとハテノ村の大体の建物が一望でき、オレンジ色の屋根の家たちが大通りに沿って並んでいる。お店を開いているところは店ごとのシンボルが大きく飾られていて、私はその中の水色の壺が飾られている店の娘だ。

 ハテノ村とはこの世界、ハイラルのハテール地方の東にある集落で、村長はいつも畑で農作業に勤しむクサヨシさん。

 ある大厄災の戦火をくぐり抜けてハイリア人の手で復興を遂げ、今では人や店も増えて旅人も多くなり、そういう意味では平和になった……と私が幼いころ語ってくれた記憶がある。

 

 

AM12:00

 

 道中に実っていたリンゴを取りながら歩いていると、共同炊事場に着いた。料理鍋が2つ並び、いかにも使ってくださいといわんばかりの木のオタマが立て掛けてある。

 もうお昼時だ。何かお腹を満たすものを作らなければ、ともうこの時点でイースト・ウィンドの手伝いをすっかり忘れている。

「そうだ!」

 思いついたのはお母さんから学んだキノコリゾット。あのキノコリゾットはお母さんが作るから美味しいのであって、私が作ったら美味しくならない……みたいなことにならなければいいのだが。

ハイラルダケ、数本」

 呟きながらポケットから材料を取り出していく。

「岩塩、少々」

 岩塩は大きい塊だったので、割って使うことにした。

ハイラル米、1束。それと……ヤギのバター、1個!」

 これでよし、と頷いた。楽しい料理のお時間です!

 

 

 まずはたいまつを取り出して近くの燭台から火を貰ってきた。そして料理鍋に灯す。赤々と燃え上がる火が料理鍋を温める。次に材料をすべて手に持って、一気に投げ入れた。あとは待つだけだ。健啖家の師匠のように鼻歌を歌いながら、そのときを待つ。ついに白い煙が上がる……!

「やった!」

 結果は成功だった。

 できあがったキノコリゾットは上出来で、お母さんが作ってくれたものと比べても見劣りしない仕上がりになったと思う。感想はそれぐらいにして早く食べよう、そうしよう。

「いただきます」

 スプーンを出し、艶やかなハイラル米を掬って口に運んでみた。

「うめぇ……」

 おっと失礼。ハイラルの女性としてあるまじき言動を口にしてしまった。ヤギのバターがいい具合にハイラル米と絡み合い、リゾットの頂上に鎮座したハイラルダケと一緒に食べるとさらに旨味が増してとても美味しい。頭の中にハテノ牧場の牧歌的な景色が浮かぶほどだ。

 どうやら相当お腹が空いていたようで、気がついたらお皿の上からキノコリゾットが消失していた。スプーンに余ったハイラル米1粒を残さず食べた後、ハンカチを取り出して汚れてしまった口を拭く。真っ白になったお皿に合掌。

「ごちそうさまでした」

第1章 2話

―人生色々服も色々―

 

 

 

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元祖 東風屋にて

PM1:00

 

 食器を洗っていたら今日やるべきことを思い出した。“旅立ち”のための服を取りに行かなくては。急いでお皿洗いを済ませ、ブティック ヴェント・エストに向かう。大きな服の看板を掲げたお店に入ると……あれ?

「ソフォラさん……?」

 ヴェント・エストの店員さん、ソフォラさんがいない。店内をぐるっと見回してみると、お店の端っこにいる人を見つけた。ソフォラさんだ。

 ソフォラさんは私を見つけると思い出したように言った。

「いらっしゃいまぁ〜せぇ〜。皆様の普段着から兵士様の防具まで着るものならオマカセのヴェント・エストでぇ〜す。私に御用ですかぁ〜?」

 これはお客さんへのテンプレート挨拶だろう。

 思えばヴェント・エストに来たのは久し振りかもしれない。ソフォラさんの端っこ定位置接客は村の名物と化しているが、それを忘れるとは何たる失態だ。

「あの……」

 気を取り直して要件を話す。

「はぁ〜い何でしょう?」

「この前頼んだ服は完成しましたか?」

「ばっちりでぇ〜す」

 ソフォラさんは少々お待ちくださいませぇ〜とお店の奥へと入って行く。いわれた通りに少々待つと、ソフォラさんは服を持って帰ってきた。

「こちらでよろしいですかぁ?」

 まだ色が付いていない、まっさらな状態の服。

 服は肌に優しい生地で、私の要望通りの完璧な仕上がりだった。

「ありがとうございます!」

 お礼を言うと、ソフォラさんはもう1つ何かを渡してくれた。

「これは……?」

「ポーチでぇ〜す」

「ポーチ?」

「きっとこれから役に立つと思いまぁ〜す」

 着たときにベルトに付けてくださぁ〜いとソフォラさんは言う。

 私は何に使うか分からなかったが、いつかこれを使う日まで着けておこうと決めた。こういう細やかな気遣いが嬉しい。

「それでは長旅になるかと思いますが、気をつけて行ってくださぁ〜い」

「ありがとうございました……!」

 深々と頭を下げて店を出る。またのお越しをお待ちしておりまぁ〜す、と後ろからソフォラさんの声が聞こえた。

 さて、次は元祖 東風屋だ!

 

 

PM 2:00

 

 店内は薄暗く、ランプがところどころに暖かい光を照らしている。焦げ茶色の床を歩いて行くとカラフルな服を着た店主が振り向いた。

「キヒヒッ! イラッシェーヤセー!」

 いらっしゃいませが店主の主張が強い前歯によって砕けて聞こえる。

 店主のセージさんは結構クセ強めな見た目、それに話し方をするがハテノ染めを愛す優しい心の持ち主でもある。

「あの、新しい服を染めに来ました!」

 先ほど貰ったまだ白いままの服を渡すと、店主はまたキヒヒと笑う。

「新品の服を染めるのは久しぶりでっしぇ、それじゃそこの上で待っててくだっしぇ!」

 そう言うと机の上に並べてある薬品……いや、染料が入った試験管を持って私を台の上に案内した。

 台とは服を染めるための道具であり飛び込み台である。台の上に立つと足元の床がパカッと開き、服を着たまま飛び込む形式で服を染めるのだ。かなり大胆な染め方だがなぜか服は単色にならず、細部まで色とりどりの色で染めることができる。これが伝統、ハテノ染めのやり方なのだ。

 新品の服を染める用だけに使われるという、左に比べてあまり汚れが見当たらない右の台に私は立つ。ここから下に落ちるのだと思うと肝が冷える。そんな私と対照的に店主は楽しそうだった。

「イッツショータ〜イム! 今日も全身染めていきまショー!」

 

 

「それじゃ染める色を決めてくだっしぇ!」

 色の種類は青、赤、黄、白、黒、紫、緑、薄青、紺、オレンジ、桃、深紅、薄黄、茶、灰とたくさんの色があった。さすが「人生色々服も色々でっしぇ」というだけのことはある。

「う~ん……」

 人生の分岐点である旅に出る服なので、なかなかこれは重要な選択だ。よし……決めた!

「青でお願いします」

「その色ならこの素材で染められそうでっしぇ」

 店主は壁に貼ってある素材表を指差した。なるほど、それなら私も持ってそうだ。

「しのび草2本とヒンヤリダケ3本でいいですか?」

 5個お選びくだっしぇ、と言っていたので合計で5個になるようにした。

 店主はそれで十分でっしぇと頷く。

「じゃ、20ルピーいただきまっしぇ!」

「はい!」

「ありがとうございまっしぇ!」

 20ルピーを投げ渡すと「それじゃちょっと息止めるでっしぇ!」と言われた。

 え、息止めるですって!?

 それから間もなく床が消えた。

「うわぁっ!?」

 

 

 ザブーンと音を立てて染料が波を打つ。

 は……鼻に染料入った……。

 視界が青に染まる中で店主の声が聞こえる。

「シシーーーッ!! こ……これはトレ・ヴィ・アンヌでっしぇ!」

 歓喜の声をあげながら店主は私の腕を引っ張って桶の中から助け出してくれた。

「着地失敗でっしぇ。お気の毒でっしぇね……」

 哀れみの声を向けられる。初めての人はほとんどこうなるらしい。逆にこうならない人すごい。

 耳に入った染料を抜いたところで店主が言った。

「キマッてまっしぇ! お客さん」

 私はそういえばできあがりを見ていないことに気づき、自分の姿を見て感嘆の声を漏らしてしまった。

 白いシャツに重ねられた青のベスト。それを区切るように肩から腰に流れる茶色のベルトには三日月を型どった留め具が付いている。薄青色のリボンを下げたループタイも添えられており、可愛くも華やかだ。腰にはハテノ村の村民の服によく使われている布を巻いてその上にベルトを付ける装い。スカートは膝まであり、青色のスカートの上に切れ込みと黄色の線が入った水色のスカートが重なっている。靴は青色で長旅でも疲れないように歩きやすいものにし、水色のリボンが交差しながら足に巻き付いている。

「なかなか面白い染色だったでっしぇ。旅のほうも頑張って行くでっしぇ!」

 店主は私の肩を優しく叩き、また試験管を持って仕事に戻った。それが職人と客人の関係の終わりのように感じて、その背中に頭を下げ言う。

「ありがとうございました!」

 

 

PM 3:20

 

 さて、と。

 ヴェント・エストに服を取りに行って、元祖 東風屋で服を染めて……あとは何だっけ。

 あ、服をいったん着替えるために家に戻らなきゃ。

 イースト・ウィンドに歩を進めると、家の前でお母さんが掃き掃除をしているのが見える。

 あれ、何か圧を感じる……?

 玄関についたところでお母さんが目も合わせずに言った。

「ミヅキ、何か忘れてることない?」

 ただならぬ圧を受けて私は冷や汗が出る。

 忘れてること? 忘れてること……!

イースト・ウィンドの手伝いっ!?」

 やらかした。

「分かったら今すぐ着替えて来なさい!」

 今度は目を合わせてお母さんが言う。普段は温厚な人だが、そういう人は怒ると怖いものだ。

「はい! 分かりました!」

 ダッシュで家の2階に上がる。木製の階段がギシギシと音を立てる。

 途中で店番をしているお父さんのやれやれと言う声が聞こえた。すいませんね! 3歩歩いたら忘れる性分だからね!

 急いで着替えに取り掛かる。部屋の一番右端に置いてある私用のベッドにいつもの服を放り投げ、今着ている“旅立ち”用の服を丁寧に脱いで畳む。先ほど元祖 東風屋で服を染めたときに乱れた髪も結び直す。子供のころはお母さんに結んで貰っていたにも関わらず、いつの間にか結べるようになっていたので不思議だ。靴もいつものブーツに履き替えて、最後に月の髪飾りを直した。

「これでよし!」

第1章 3話

―今日も元気に営業中―

 

 

 

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イースト・ウィンドにて

PM 3:50

 

「しょうがないからお母さんが代わりに立ってたけど、次からはやらないからね?」

「すみませんでした……」

「お母さんも他の仕事があるんだから」

 怒られながら私は箒で店の前を掃いている。

 ハテノ牧場で注意されたはずなのにまた忘れて服を取りに行った自分に、もはや私が心配してしまう。まさか前世はコッコだった……?

「じゃあ今日はフレッシュミルク運びしなくていいから、明日はちゃんと謝りに行くのよ?」

 そう言うとお母さんは店の中へ戻っていった。

 私は柱に体重をかけ、ふぅ……と息抜きをする。

 すると店の外からくすくすと笑い声が聞こえた。

 目を向けてみると、そこにはご近所さんのナブ兄ちゃんとナララ姉ちゃんが立っている。

「笑わないでください」

「ホントにミヅキはイースト・ウィンドの名物だよな」

 ナブ兄ちゃんはそう言う。嫌味にしか聞こえないなぁ。

「アハ! アハ!」

 ナララ姉ちゃんは独特の笑い声を出している。逆にそれが面白い。

「虫、早く捕まえに行こうよ! おにいちゃん!」

 一通り笑った後ナララ姉ちゃんはそう言った。ナララ姉ちゃんはナブ兄ちゃんの妹だ。

「ちょっと待ってな。今ミヅキと話してっから」

「忙しそうですね……?」

「最近マンサクさんにガンバリバッタ取りに行く手伝いしてくれって言われてるんだよ」

 あと妹の面倒も母ちゃんから言われてるからな、とナブ兄ちゃんは言う。マンサクさんまだバッタ集めてるんだ……?

「おにいちゃん! 行こうよー!」

「あぁ、そんじゃあもう行くよ。またなー!」

「ばいばばーい! ミヅキちゃん!」

 私もバイバイと言って手を振った。ナブ兄ちゃんとナララ姉ちゃんは田んぼのほうへ走っていく。あの2人は子供のころから毎日走っていたそうで、やっぱり足が速い。

 目線をずらして下に向けると、いつの間にか店の玄関が綺麗になっていた。やはり話しながら手を動かすと早く終わる。

 場所を移動し井戸のほうに目をやると、いつも井戸端会議をしているアマリリおばあちゃんとナギコさんがいなかった。

 ナギコさんはナブ兄ちゃんとナララ姉ちゃんのお母さんで、アマリリおばあちゃんは私のお母さんのお母さん、つまりおばあちゃんだ。

 井戸にいないということはサクラダ工務店のほうにいるのだろう。

 おばあちゃんとおじいちゃんは「新しい住まいのカタチ サクラダ工務店」のモデルハウスを借りて過ごしている。モデルハウスはサクラダ工務店さんのカツラダさん、サクラダさんも住んでおり、ハテノ村に来た旅人さんにも貸し出しているそうだ。おばあちゃんとおじいちゃんは時折イースト・ウィンドに顔を出して手伝ってくれることもあり、特に手作りの武器を作るのはいまだにおじいちゃんにしかできないらしい。お父さんはその後を継ぐためにおじいちゃんから日々作り方を教わっていると言っていた。

 あとでおばあちゃんとおじいちゃんにも会いに行こうかな。

 またやることが増えたところで私の前を人が横切った。よし、私もお仕事を果たさなきゃ!

 

 

「そこのお姉さん!」

 明るく声を掛けるとその人が振り返った。

「こんにちは」

 ふわりと笑って、近くに寄ってきてくれる。

 髪を後ろで丸く結び、バックにケモノ柄の盾を掛けて腰には剣をさしている。旅人さんだ。

「いいお天気ですね! よろず屋イースト・ウィンドは今日も元気に営業中です! 中でいろいろ見てってくださいね!」

 お母さんが昔看板娘をしていたときに使ったという言葉をいつものようにかけると、旅人さんは何かを思い出したようにぽんっと手を打った。

「あっ、思い出しました! イースト・ウィンド! あなた……あの娘さん?」

「え、あぁ、お母さん……アイビーの娘です」

「そうですか!」

 旅人さんはすごく嬉しそうで、懐かしい懐かしいとニコニコしている。

「あの、どうしてお母さんの名前を?」

「昔よくハテノ村に寄っていまして、そのときにたくさんお話をさせて貰ったんです!」

「そうなんですね! えっと、お名前は……」

「リーセと申します。あなたは?」

「ミヅキといいます!」

 あぁ、こういうときって何て言うんだっけ。

「おみおみ……お見知り……おき?」

 と言ったらリーセさんは吹き出した。

「本当に似てますね」

 リーセさんによると、いつもお母さんはお見知りおきを上手に使えていなかったという。でも外見はあんまり似てないみたい。

 あっ、そうだ!

「よかったらお母さん呼んできましょうか?」

 そう私が提案すると、お願いしますとリーセさんは顔を輝かせた。

 早速店に入って呼ぶ。

「お母さん、リーセさんが来てるよ!」

 2階にいたお母さんはえっ、と叫んで聞くが早いか店の外へ飛び出していった。

 開いたままの扉を抜けて外を見ると、早速リーセさんとお母さんは話し込んでいる。

 う〜んこれは邪魔しちゃいけないなと思い、私は静かに外に出た。

 

 

「喋ってますかね?」

「喋ってるよ」

 タチボウ兄ちゃんは眼鏡越しの目を輝かせてノールックでノートにペンを走らせる。

 箒を持って外に出た後、どうせならハテノ村の道も掃除しちゃおうと思って大通りを歩いていた。そこにタチボウ兄ちゃんが、すごいことみつけたんだけど……見たい? と話しかけてきて興味本位でついていって今に至る。

「いやぁ……どうやっても聞こえてきませんよ?」

「じゃあ素質がないんだね」

 私たちの目の前には悪魔像があった。ハテノ村の端に隠すように置かれている悪魔を象った像。女神ならざるもの、とタチボウ兄ちゃんが二つ名のように言っていたのを思い出す。

 タチボウ兄ちゃんの話を聞くと、この像から声が聞こえ、少しだけ話せたという。

「前は聞こえただけだったのに話せたなんてすごいですね!」

 と言うと、前来たお兄さんはもっと話してたとタチボウ兄ちゃんは言った。

 前来たお兄さん……?

「お兄さんが話せたんだ。僕にも話せるはずだ!」

 タチボウ兄ちゃんはペンを止めずに私の方を向いた。その目はもはや学者である。

 タチボウ兄ちゃんがもっと幼いころは、悪魔像に興味は持っていたもののもっと可愛らしい子供だった、らしい。今となっては悪魔像への興味が膨らみ、ほぼ毎日通いつめるという悪魔像専門家に変貌している。一つの事に熱中するのはいいことだとは思うが。

「それと、話した際に黒いような紫のような煙が出る件は……」

「あ、ちょっと私はイースト・ウィンドの手伝いがあるので。じゃあね!」

「うん。分かった。僕はもうちょっとここにいる」

 あれ以上一緒に話をしていたら日が暮れそうだと思ったため、私は悪魔像とタチボウ兄ちゃんから別れた。

 

 

 悪魔像はハテノ村の旗がある丘の下にある。

 ここから右に行くとサクラダ工務店のモデルハウス。左に行くとハテノ村の大通りに出て、そこからまた左に行くと門が見えてくる。

 大通りには馬に乗った旅人や、村の案内役をするソテツさんなどがいた。今も案内したくてウズウズしているはずである。

 まずは門から掃除かなと思い大通りを左に進むと、いつもの麦わら帽子が見えてきた。門番のタデさんだ。

「タデさん〜!」

「あ? お前か……」

 あからさまに残念そうな顔をされる。

「そんな顔してどうしたんですか?」

「いやぁな」

 この前門を可愛らしい美少女が足早に通りすぎたらしい。髪の毛が白くて、眼鏡をかけていて、四角い箱を背負った……?

「それって……」

第1章 4話

―101匹ガンバリバッタ―

 

 

 

「お前、何か心当たりあんのか? おいおいさっさと吐くんだ」

 そう言ってタデさんは畑のフォークの持ち手のほうを私の肩にコンコン、と当てた。その特徴はもうあの人しかいない。だけど。

「タデさん、村の一番奥の建物にいる人のこと何て言ってましたっけ?」

「……小うるさい婆さん、だが?」

「あー、そんなこと言ってたならもう教えません」

 私が人差し指を振るとタデさんはハァ? と眉を潜める。

「それとこれに何の関係があるんだ」

「もちろんあるに決まってます!」

 間接的ではなく直接的にその人と繋がっている。

「じゃあ私もう帰ります」

「え、教えてくれないのか?」

「あと、門に来た人イコール美少女だと思ったら大間違いです」

「何でそんな俺の口癖を覚えてるんだ……? そして教えてくれないのかって言って……」

「ではさらば」

 そして私は軽く手を振って門を後にした。

 別に怒ってはいないが、小うるさい婆さんの言い方は直したほうがいいと思う。

「何しに来たんだ……」

 後ろでタデさんの声が聞こえた。

 

 

「おうミヅキ……さては腹が減ってるな?」

 イースト・ウィンドに帰ろうと大通りを歩いていたら畑のほうから声をかけられた。

 ナツユキさんだ。麦わら帽子を被り、いかにも畑仕事を生業としている人の服装をしている。

「ナツユキさん! なぜそれを……!?」

 エスパーか!? とびっくりする私に、ナツユキさんは棒状のものを渡してくれた。

「そんじゃこれやるよ」

 それはまごうことなき串焼きキノコだった。それも3本。ハイラルダケ、ガンバリダケ、ポカポカダケがそれぞれ3つずつ串に刺さっており、こんがりと焼けていて美味しそうだ……っ!?

「あれ、さっきまで私の手にあった串焼きキノコはどこに!?」

「いやミヅキが一瞬の内に食べてたけど……」

「なるほど」

 納得して手を打つと、ブハッとナツユキさんが吹き出した。ミヅキはやっぱりヘンな奴だぜと笑いながら言っている。その言動は気にせず、私はお礼を言うことにした。

「夕御飯提供してくれてありがとうございます!」

 余ってただけだからいいよ、とナツユキさんは優しく微笑んで、その後に何か思いついたような顔をした。

「あ、そういえば……」

 私に話したいことがあるという。いいですよどんどん話しちゃって下さいと私が言うと、ナツユキさんは村の一番東のほうを指差した。

「すごくヘンなところ……まぁ、丘のてっぺんにあるハテノ古代研究所、あるだろ? あそこの一番上の場所にさ、いっつも誰か座ってるんだよな」

 ナツユキさんが指差すハテノ古代研究所はこの村の丘の上に悠然と建っており、先ほどシカ狩りをした場所、ハテノ牧場よりもさらに上に位置している。よくよく見てみると、その一番上にある所長の部屋の前に人が見えた。ここからだと遠すぎてあまり見えないが、そこに誰かが座っているというのは何となく分かる。

 そして私は、その人を知っている。

「あぁ、それなら分かりますよ!」

「知ってるのか?」

「それ多分私の……弟だと思います」

「そういえばミヅキ、弟がいたよな。ミヅキに似てヘンな奴」

 確かに私には弟がいる。あんまり似てないね、と小さいころ頻繁に言われたのを思い出す。そういえばさっきリーセさんにも同じようなことを言われた。私はお父さん似なのだろうか。

 今はお母さんの弟、つまりアオタ叔父さんと物を売る行商人としてロバを連れながら各地を旅していると聞いた。普通は弟の年ぐらいだと旅に出るのは危険なのだが、弟の行商人への憧れと情熱に負けてアオタ叔父さんは一緒に行くことを許可したそうだ。それとは違って。

「ヘンではないですよ……ナツユキさんの言ってる弟とは違いますが」

「え? 他にいるのか?」

「それはですね……」

 

 

 突然、背中に何か気配を感じた。

 一瞬驚いたものの、冷静にその背中を探ってみる。捕まえて目の前に持ってくると。

「ばっ……バッタぁ!?」

「ミヅキちゃんー!」

 振り替えるとナララ姉ちゃんがいる。

「バッタ持ってるよネー!?」

「あっ、はい! 持ってます!」

「このツボの中入れてくれる?」

 そう言ってナララ姉ちゃんはハテノ村だけで使われている白と水色のツボを向けた。うじゃうじゃ……とガンバリバッタが中で飛びはねている。数匹は大丈夫だけどこの量はちょっと気持ち悪いかもしれない。

「おりゃあっ!」

 何が何だか分からないまま、思いっきりさっきのガンバリバッタをツボの中に入れた。この子もあのうじゃうじゃの一員になるのか……。ナララ姉ちゃんはそのツボをナベのフタで封をする。

「ミヅキちゃんありがとー! おにいちゃん! バッタあつまったよー!」

 ナララ姉ちゃんは奥の畑のほうに声をかけた。

 すると畑の中からナブ兄ちゃんが顔を出す。

「おお! それで全部じゃないか?」

「全部だよー! マンサクさんに見せに行こー!」

「分かった、行こう! ナツユキさん、ミヅキ、協力ありがとう! それじゃ、またなー!」

 ナブ兄ちゃんとナララ姉ちゃんはまたしてもその速い足でマンサクさんのいるほうへ帰っていった。

 マンサクさんにガンバリバッタ取りに行く手伝いしてくれって言われてっから、というナブ兄ちゃんの言葉を思い出し、やっと状況を理解する。ガンバリバッタ取りの最中だったようだ。

 残された私とナツユキさんはただ呆然と立ち尽くし、ナツユキさんは嵐のようだな、と一人呟いていた。

 

 

PM 8:00

 

 もう村の子供達が寝る時間になってしまった。

 しばらく呆然と立ち尽くしたナツユキさんにさよならを言ってから、イースト・ウィンドに箒を置いて井戸に赴く。なぜこの時間に井戸に行くのかというと、体を洗う用のお湯を作るためだ。

 あらかじめ置いてあった桶に水を汲み、共同炊事場に行く。料理鍋に火を着けて、水を入れて温める。そしてある程度温まったら桶に戻し、井戸の裏のサイロへ向かう。

 井戸の裏にあるサイロは農作物などの倉庫に使われるのだが、2階部分は入り口が狭く床に穴が開いているために、誰も使わず私の秘密の場所となっている。

 前までは汚かったのだが、見つけたときに掃除をして今ではもはや自分の部屋にしたいぐらいの快適な場だ。床に穴が開いているのは下に出るときに便利なのでそのままにしてある。

 サイロの2階に向かうには梯子を使う。桶を持ちながら梯子を登るのは至難の技だ。でも長年やってきたせいかもうその道の人かな、と自分で疑うほどには上手く登れるようになった。しゃがんでサイロに入ると、置いてあったランタンが私を微かに照らした。その光を頼りに、桶に掛けておいたタオルをお湯に浸す。

 ハテノ村の人々は体を洗う習慣があまりないと聞いたときはなぜか驚いた。私とてハテノ村の住人だというのに。みんなから変な目で見られることも承知で毎日体を洗う私は、やはり変なのだろう。

 こう考えてみると、私は人と考え方が違うことが多かった。この毎日体を洗う習慣や、ハテノ古代研究所で勉強をすること、そしていつもやっていることから外れて色んなことをやってみる冒険心。もしかしてハテノ村の人々はみんな保守的なのかも知れない。

 ボーッとそんなことを考えていたら、自分の体を全部拭き終わったことに気づいた。やっぱりこの時間は考え事をたくさんしてしまう!

 髪を纏めて服を着替え、サイロを出た。

第1章 5話

―回避ジャストの代替案―

 

 

 

PM 9:00

 

 この時間になるとハテノ村の大人たちも寝る支度を始める。桶を片付けたころにはもう大通りに人はいなかった。

 私も早く寝て、いつも通り朝6時にシカ狩りに行かなければならない。早寝早起きはシカ狩り常連の掟である……と思っているだけでそうしているのは私だけかもしれないが。いや、早起きしてシカ狩りをするようにと目標を出したのは師匠だ。だから師匠自身もハテノ村にいるときはそうしている可能性がある。

 そういえば最近師匠に会えていないな……。

 そこまで考えて思考を放棄した私。率直にいえば眠いのである。

「ふぁ~あぁ」

 月明かりが眠りにつく村を照らし、あくびをした私を眠気が襲った。

 

 

AM6:00

 

「師匠、おはようございます!」

「だから師匠じゃないって」

 ハテノ牧場に朝からそんな会話が響く。

 朝に弱い私にとってシカ狩りは準備運動のようなもので、いつものようにハテノ牧場に辿り着くと師匠がそこに立っていた。整った顔をこちらに向けて苦笑している。

「いや……いいか今日ぐらい。ミヅキの師匠も最後になるだろうし」

 感慨深いね、と師匠は言う。

 12歳のころからシカ狩りを始め、そこで出会った師匠に無理をいって弟子にさせてもらったことには感謝しかない。正確には今日初めて弟子になったようだが。

 最後、というのは“旅立ち”があるからだろう。

「じゃあどうせなら最後に……シカ狩り、一緒にやりませんか?」

 提案してみると、師匠は楽しそうに笑った。

「いいね、そうしよう」

 するとその言葉を待っていたかのように、ドダンツさんが畑のフォークを手に振り返った。

「ありがとう! すぐに行ってくれるかい?」

 私と師匠は目を合わせる。すぐに師匠が頷いてくれたので、私は言った。

「すぐに行きます!」

「頼もしいな! 期待してるよ!」

 ドダンツさんは満面の笑みで答えてくれた。

 その期待に答えなければいけないと思い、私は少し緊張した手で騎士の弓を取り出した。

 

 

 エキスパの森はいつもと変わらなかった。

 ヤマシカたちが静かに過ごし、ともにモリイノシシも暮らす平和な森に見えるが、「そこに野生のシカが増え過ぎちゃって森を荒らされて困ってるんだよ」とドダンツさんは言っている。

 それを駆除するのが私たちの役目なのだ。

 目標としてはシカ10匹……あれ?

「2匹多い」

最小限の声で師匠が呟いた。

「えっ!? いつもぴったり10匹ですよね」

「静かに」

 私の声量を指摘した後、師匠は真顔で言った。

「俺たちが2人だから森側も難しくしたんだよ」

「……なるほど」

 師匠がちょっと笑った。あっ、冗談か。

 すると、後方からドダンツさんの声がした。

「じゃ、シカ狩りのほう始めてもらおうかな。1分経ったら呼ぶからね」

 それを開始の合図としているシカ狩り常連は、その瞬間に空気が張り詰めることを知っている。ヤマシカという生き物は少しでも音がしたらその方向に振り向くため、まず少しでも音をたてないことが勝利への近道なのだ。

「……行くよ」

「はい」

 こうして静かに、シカ狩りは始まった。

 開始1秒で師匠が音もなく放った矢は、左側のシカにクリティカルヒットする。私は奥のシカを狙い、その間に後ろのシカを師匠が仕留める。無事シカを倒した私は少し移動し、その右奥のシカにギリギリクリティカルヒット。師匠は左に歩いて崖にいるシカをまとめて仕留め、さらに奥に歩を進めた。ケモノ肉を取ることも忘れず、私は右側に行く。シカに矢を放った後その近くのシカにいつの間にか気づかれ、走って逃げるシカに向かって私は高く「跳躍」した。木の高さをも越え落ちていく瞬間、シカに一発クリティカルヒットを決める。音を立てないよう着地して来た方向を見ると、逃げているシカに向けて岩から飛び降りている師匠がいた。そのとき世界が遅くなったように感じて、息を呑む。あれが……「集中」。無事シカを仕留めた師匠はケモノ肉を回収し、こちらに歩いてきた。その後私と師匠の後ろを通った2匹のシカも、2人の矢でクリティカルヒットを決めた。

 師匠と私は終わりを告げる。

「ありがとうございました」

 

 

「12匹も狩れたのか!」

 ドダンツさんは戻ってきた私たちを驚愕の表情で迎えてくれた。

「やってくれるボーイアンドガールだとは思ったけど正直ここまでとは!」

 2人のときはそうやって言うんだ、と私が少し驚いていると、師匠が呟く。

「俺もミヅキがここまで成長するなんて思っていなかったよ……弓の腕は」

 遠回しに剣の才能は皆無だけどね、と言われた気がする。その言葉に頷いたドダンツさんは私たちに赤ルピーをくれた。

「ホイ、お駄賃だ……」

 2人で1つ……分けろということだろう。私がお財布を取り出して分けようとすると、師匠は首を振って“旅立ち”に使ってくれと言ってくれた。恩に着ます、とお辞儀してそのままお財布に入れる。

「とはいえあの森のシカ……また増えると困るし……」

「やだ」「大丈夫です」

「そ、そっか……気が変わったらまた頼むよ」

 ドダンツさんの頼みは食い気味に断るといいらしい。この知識を使うのは多分、また何年か先になるんだろう。

 そう思う私にドダンツさんは心を読んだかのように言った。

「また、頼むね」

 

 

AM8:00

 

 ミルク運び。それが私のイースト・ウィンドでの主な仕事。

 師匠とドダンツさん、トコユさん、トックリさんに別れを告げた私に待っていたのは、その仕事だった。別に苦ではない。苦ではないのだが……!

「重ーーーい!」

 フレッシュミルクが入った箱がすごく重いのだ。きっと近衛の両手剣より重い、そう私は体感的に思う。ただ非力なだけかもしれないが。

 ちなみに8時は子供たちが起きてくる時間で、血気迫った表情で箱を運ぶ私を、子供たちは面白そうに、心配そうに、目で追っていた。

 一番先に運ぶのはタマナさんだ。

 タマナさん家からトリのタマゴを受け取るついでに、フレッシュミルクも運んじゃおうという寸法。それで最初に運ぶと決めている。

「タマナさ〜ん! おはようございます!」

「あら……」

 タマナさんは掃除をしている手を止めて、ミヅキさんおはようございますと言ってくれた。

 私は王家の両手剣より重いと思っているフレッシュミルクの箱を地面にドサッと置いた。近くのコッコがコケッと鳴く。

「昨日はお届けできなくてすみませんでした……」

「大丈夫ですよ。2個、お願いします」

 私がフレッシュミルク運びを忘れることは恥ずかしながら多いので、ハテノ村の人々は慣れてしまっているようだ。気をつけます。ごめんなさい。

 反省をしながら箱からフレッシュミルクを2個取り出す。取り出すときにビンを割ってしまった経験があるので慎重に取り出すことにしている。

「どうぞ!」

 両手でフレッシュミルクを差し出すと、そのまま両手で受け取ってくれた。その状態でなぜかタマナさんはしょんぼりする。

「トリのタマゴ……卸したいところなんですが……この前来た旅人さんに渡してしまって」

 タマナさんは気前がよすぎるところがある。

 侘びタマゴだったりクイズの賞品だったり、タマナさんの主人さんに怒られてしまうにも関わらずいつの間にか相手に渡してしまうそうだ。

 私はタマナさんのそんな性格も知っていたし、何度もトリのタマゴが品切れになってしまったこともあるが、イースト・ウィンドはそれを許すことにしている。なぜかって?

 コッコは少し刺激を与えると、トリのタマゴを出してくれる。

 つまり、今その場で調達できるからだ。

 あと、私も運ぶのをよく忘れるから。

「分かりました、それでは今取りますね」

第1章 6話

―知恵得しもの―

 

 

 

 私は満身創痍の状態になっていた。

 軽く当てようとした剣を私の壊滅的な剣捌きで逆に振り上げてしまい、コッコが悲痛な鳴き声をあげたことでその仲間たちが集まって全身傷だらけに……という経緯である。喰らっている最中ずっと謝り倒していたおかげかコッコたちは去ってくれたが、やはりコッコを扱うときは慎重に行動しなければいけないな、と今になって思う。これが俗にいうコッコの逆襲だろう。

 だけど収穫はあった。コッコをこんなにも怒らせるぐらい行っていたのだから、さすがにたくさん取れていないとおかしい。もちろん私の腕の中にはいっぱいのトリのタマゴがあった。

 タマナさんにお礼を言い、コッコたちに謝り、私はそこを離れることにする。

「早くどこかに旅立ってくださいね!」

 帰り際に放ったタマナさんのその言葉にどこか棘があるように思えたので、私ははい、と言った後すみませんでしたと付け加えた。タマナさんにも二次被害が結構あったみたいだから。

 でもタマナさんは「……あ、ゴメンナサイ。言い過ぎました……」と言って何と詫びタマゴをくれた。

 そのタマゴどっから出てきたんですか!?

 

 

 タマナさんと別れた後、すれ違ったナツユキさんとソテツさんにそれぞれの家族分のフレッシュミルクをあげた。その場で自分の分を飲んでいる2人とも、腰に手をあてて飲むポーズをしていたので私は笑ってしまう。でも昨日の分を忘れたことはちゃんと謝った。

 ありがたいことに許してくれた2人に手を振り、次はシモツケさんだなと騎士の両手剣より重いと思っているフレッシュミルクの箱をもう一度持ち上げる。

 シモツケさんのもとに辿り着くと、いつも通り彼のモットーである「自分が食べる分は自分で作る」ための農作業を行っていた。自分で作れないものはイースト・ウィンドで買ってくれているとのことなので、私の店の常連客でもある。

「あぁ、ミヅキかい?」

 私の気配に気づくと作業の手を止めて振り返ってくれた。

「フレッシュミルクを……」

「ちょっと待っててな」

 どうやら忙しいらしい。私は箱を置いて、シモツケさんの用事が終わるまで景色を眺めることにした。

 ここから見上げると目に映る、名峰ラネール山。氷に包まれた秘境。今日もそこから流れる雪解け水によって、この村は支えられている。

 ラネール山は17歳未満の子供を「知恵無きもの」として入山を禁じており、私はこの間の誕生日にやっと登ったばかりである。

 下山後、お母さんから私に言い渡されたのが“旅立ち”だった。それまでの1ヶ月間、悔いを残さないため充実した日々になるように心掛けたりはしたのだが、結局普通に過ごした気がする。でもやっぱり、この日常がしばらく見られなくなってしまうのだと思うと寂しい。いつも見守ってくれているラネール山もその対象だな、と思ったのでひたすら目に焼き付けていたら、シモツケさんが畑から出てきた。

「フレッシュミルク渡してくれるんじゃないのか?」

 私がラネール山を凝視しているのを見て何ごとかと思ったらしい。目線が訝しげだ。

「あっ、そうです! そうでした! あと昨日運べなくてすみません!」

 シモツケさんは笑って許してくれた。気をつけます。ごめんなさい。

 気を取り直して箱に手を伸ばし、フレッシュミルクを取り出す。

「ラネール山をふとした瞬間見上げてしまうのは分かるがな。ま……俺はラネール山のお宝について思いを馳せてしまうわけだが」

 フレッシュミルクありがとな、と言ってシモツケさんは畑に戻っていった。ラネール山のお宝については師匠が旅の過程で見つけたらしく、その話をシモツケさんに教えたいのだが、お宝に対する憧れで爛々と輝く目を見ると言い出せなくなってしまう。古代の遺物をお宝と理解してくれるか……やめとこう。

 

 

AM9:00

 

「でっしぇ、でっしぇ〜」

「でっしぇ、でっしぇ〜!」

 元祖 東風屋の店主セージさんの妻、センさんと謎挨拶を交わしながらフレッシュミルクを謝りつつ渡し、箱を見ると半分ほどの数を渡し終わったようだった。次はクサヨシさんだなと配達の順番を思い浮かべながら歩いていると、階段の途中で躓きそうになる。ぼーっとするのはよくない。階段を登りきりクサヨシさん宅をぐるっと回って、坂に沿って作られた畑を見渡す。その中にぽつんと佇み、畑のクワで黙々と作業をしている人物が村長のクサヨシさんだ。

「クサヨシさーん!」

「おや、ミヅキですかな?」

 振り返ったクサヨシさんと目が合った。

「昨日はお届けできず、すみませんでした……」

「いえいえ、大丈夫ですよ。誰にでも間違いはあります。今は作業中ですので、今日の分は玄関の前に置いてきてもらえますか?」

「了解です、ありがとうございます! それでは失礼します!」

「はいはい、さようなら」

 柔和な表情で許してくれたクサヨシさんに手を振りながらクサヨシさん宅に戻り、言われた通りに玄関に置く。ふぅ、と一息ついて、ポケットから葉っぱに巻いた海鮮おにぎりを取り出した。

 私はシカ狩りの前に朝ご飯を作る習慣がある。これはそのときに握っておいたもので、小腹が空いた今、食べちゃおうと思った次第だ。ハイラルバスがホクホクしていて美味しいし、ハイラルダケもいいアクセントになっている。成功だ。

 満足げに階段を降りる私。その先のマンサクさんが訝しげにこっちを見てくる。

「何ニヤニヤしてるんだよ」

「海鮮おにぎりが意外と上手くいったので嬉しいんです。マンサクさん、おはようございます!」

「おはようございますじゃないよ……ミヅキは成功でいいな、こっちは失敗だってのに」

「失敗?」

「あんたがガンバリバッタを余分に入れたせいでツキミさんに振られちゃったんだよ」

「そ、そうなんですか……!?」

 マンサクさんが大量のガンバリバッタを集めているわけは、愛しの人ツキミさんが「ガンバリバッタ100匹に囲まれて暮らすのが夢でございます」と言っていたかららしい。そしてマンサクさんは他の人の手も借りながら健気に集め、100匹到達したところで余分に1匹入ってしまった、と。思い当たる節はある。きっとこの前背中に乗って捕まえてツボに入れたガンバリバッタのことだ。でもナブ兄ちゃんとナララ姉ちゃんはこれで全部って言ってた気がする……数え間違えちゃったのかな。しかし余分に入れたのは私のせいでもあるわけで。

「ごめんなさい……」

「ああ……でも手応えはあったよ。初めはツボいっぱいのガンバリバッタと俺の告白に驚いて固まってたんだけど、努力の甲斐もあって一応考えてはくれるみたいだ」

 100匹じゃなかったのがお気に召さなかったらしくガンバリバッタは返されたよ、とマンサクさんはそれでもまだ諦めてなさそうな表情で言う。その瞳の悔しさの中に燃え盛る炎を見た。

「恋の炎は雨でも消せぬときたもんだ、ですね」

 マンサクさんがときどき呟く言葉を口にする。それに凛々しく頷いたマンサクさんは、また愛しの人への贈り物に悩み始めた。今度は上手くいくといいな。

 そんなマンサクさんにフレッシュミルクを渡し、民宿 トンプー亭のツワブキさん、共同炊事場前のウメさん、少し坂を登ったところのロレルさんにテンポよく配達した。みんな私の謝罪を快く許してくれて、このハテノ村の住民たちはなんて優しく朗らかなんだろうとしみじみ思う。この村から離れたくないな、と感じながら改めて坂の上からハテノ村を見渡すと、爽やかな追い風が私の背中を押すように通り抜けた。