―光陰の斥力―
AM11:00
ハテノ牧場前、少し急になってきた坂に立てられている看板にはこう書かれている。「あぶないよ? いい子のみんなは来ちゃダメ」。所長の子供嫌いが透けて見えるようで、見慣れているのにクスッと笑ってしまう私がいる。
この先はハテノ古代研究所だ。丘の頂上に建っているその怪しげな外観からは、いつも通り煙突の煙がもくもくと出てきている。
それを眺めながら歩いていると、2個目の看板が見えてきた。「お子様へ! しょく台で遊んではいけません!」。研究所の動力である青い炎を灯すための、中間地点として建てられた燭台のことだろう。今も風に煽られながらも無事灯っているので、しばらくは古代炉から炎を運んでくる必要はなさそうだ。
しばらく歩いて3個目。「あぶない! 子供は今すぐ引き返すべし!」。この看板を見てもなお引き返さなかった好奇心の塊のような幼いころの私を思い出す。あそこなら本がたくさん読めるはず、と貪欲に知識を欲した過去。それが今の私に繋がっている。
4個目の看板。「かまどは熱い! 触るな!」。おそらくこれが危険の原因だ。研究所内の人間が一度大火傷を負ったので後続を出させないために書いたかのような緊迫感が感じられる。そんなことに思いを馳せながらかまどを見ると、いつものように青い炎がメラメラと燃えていた。
兵士の両手剣ほどの重さになったフレッシュミルクの箱を持ちながら、ハテノ古代研究所のドアを開ける。手を握り、その後に親指と人差し指と小指を出したポーズを繰り出しながら、所長がいつも使う挨拶を模してこんにちはの代わりに言い放った。
「チェッキー!」
PM12:00
「にっちゅ〜!」
チェッキーのイントネーションで日中、とにこやかに返したこの方はプルアさんだ。少女のような見た目だが古代研究の第一人者で、私が勉強などを習った先生でもある。
「こんにちは」
対して普通に挨拶してくれたこの方はシモンさん。白髪なのはシーカー族の特徴だが、おじさんと言える年齢なので大した違和感はない。プルアさんと同じくらいお世話になった方。
研究所のテーブルには何やら難しいことが書いてある紙や分厚い書籍が散乱しており、箱を置くスペースはない。とりあえず被害の少ない入り口に置いて、先にお詫びを言わなければ。
「昨日はフレッシュミルクの配達を忘れてしまい、すいませんでした……これは今日の分です」
「いいヨいいヨ! それにフレッシュミルク頼んでんの弟クン、でしょ♪」
「寂しがってましたよ、行ってあげてください」
「えっ……はい、分かりました!」
昔、私は本が大好きな子供で、自宅や近所の家に置いてあった本、それに行商人から買った本など多種多様な書籍を読み漁っていた。そしてタデさんに近づくなと言われていたにも関わらず、読める本を求めハテノ古代研究所まで赴いたのだ。てっきり小うるさい婆さん、がいると思っていた私は拍子抜け。そんな人物はどこにもいない。シーカー族の女の子、プルアさんに聞こうとしたが同世代の子供が嫌いなのか追い払われてしまい、今度はシモンさんに尋ねることにした。しかしはぐらかされて何も聞けやしない。諦めず通い詰めた私にシモンさんはやっと折れて、内緒話をするようにそっと教えてくれた。髪の毛が白くて、眼鏡をかけていて、四角い箱を背負ったプルアさん。あの方こそが、古代技術アイテム「アンチエイジ」で若返ったハテノ古代研究所の所長なのだと。
古代技術アイテム。これほど唆る言葉はない。持ち前の辛抱強さでプルアさんに詰め寄り、たくさんの質問をした私は、だんだんとハテノ古代研究所に入り浸っていくようになった。小さいころ高熱を出したとき以外は今も欠かさず通っている。今ではプルアさんもシモンさんも私を教え子のように思ってくれており、養子縁組した男の子を義弟として接してねと頼んでくれたほどだ。それが行商人である弟とは違う、もう1人の弟。
「ヨウター!」
PM1:30
「ミヅキ?」
ヨウタは一つに縛った青い髪を靡かせながら悠々と座っていた。サイロを改造して設計されたハテノ古代研究所は壁に螺旋状の階段が取り付けられており、頂上にあたるプルアさんの部屋まで続いている。それに丘の高さもあって来るだけで怖気づくような高所に、毎回座しているのがこの弟である。
「フレッシュミルク、入り口に置いといたよ。昨日忘れちゃってごめんね……」
「別に気にしてない」
ヨウタはそう言いながらぽんぽんと床を叩き、隣に座るように促した。私もすっかりこの高所に慣れているうちの1人なので、板の上からブラブラと足を出して座ることができる。そのまま雄大なハテール地方を眺めていると、ヨウタが三角状の何かを渡してくれた。
「昼飯、食べてねぇだろ」
それは葉っぱに巻かれていて、包みを開けると食欲そそるケモノ肉の香りがあたりに広がった。に、肉おにぎりだ!
「いいの!?」
よほど私の目が輝いていたのかヨウタはこらえるように笑い、快く了承してくれた。
「いただきます!」
手が汚れてしまわないよう葉っぱを重ねて肉おにぎりを持つ。口を大きく開けて頬張ると、甘辛いケモノ肉の美味しさが全身に染み渡った。ふっくらしたハイラル米もほどよくそれを引き立てており、思わず渾身の「うまい」が飛び出てしまう。嬉しそうに少し微笑んだヨウタは、簡素に「どうも」と返した。
あっという間に2個目も平らげてしまい、後から重大なことに気づく。弟にこんなにお世話になっちゃっていいのか。慌ててポケットに手を突っ込む様子を訝しげに見ていたヨウタに向けて、勢いよく手を開いた。
「はい!」
がんばりハチミツアメである。それも3個。
「……オレに?」
そりゃそうだろうと思いながら袋を開ける。中に入っているのは金色に輝く飴玉。ガンバリバチのハチミツを煮詰めて固めたもので、ほのかな甘みは私たちの心をいつも癒やしてくれる。そのまま手渡すと、ヨウタは恐る恐る摘んで口に入れた。頬でコロコロと転がす音がする。
「うめぇ……」
私はふふん、と得意げな顔をしてから、ヨウタの手に残りのがんばりハチミツアメを握らせた。
「お姉ちゃんがいなくても強く生きるんだよ!」
その瞬間、空気が凍りついた。ヨウタの目が冷たく光り、私を極寒の眼差しで睨む。
「“旅立ち”なんてまだ早いんだよ」
ヨウタはこの手の話題に敏感だ。私が未熟で勉強不足なのは重々承知してるけど、やっぱりハテノ村の近隣以外のハイラルもこの目で見てみたい。旅立ってみたい。
「ヨウタの言うことも分かるよ、でも」
「まず行き先が遠すぎる。何日かかると思ってんだ。馬でも結構かかるぞ」
「飛行訓練場にしたのは私だよ。弓を使うものとして行ってみたくて」
「それに1人だけで旅立つなんて危険すぎる」
「旅人って基本1人だと思うけど……」
「そんで結婚相手を見つけて自宅構えるって、ゲルド族じゃねぇんだからさ」
「旅の中でそういう人を探すって大変だけど、素敵なことだと思うんだ」
何が何でも行く姿勢を見せる私に、ヨウタは刺々しく声を張った。
「あとオレ、弟じゃねぇし」
義弟だとしても私の中では弟だ。反論しようと口を開くが、慌てて踏みとどまる。ヨウタの顔は怒りの色ではなく、わずかに悲しい色を帯びていた。シモンさんの寂しがってましたよ、という言葉は本当かもしれない。
「ごめんね、ヨウタ」
抱き締めると、暖かい太陽の匂いがした。ヨウタの上がっていた肩がゆっくりと下がる。こうやってくっつくのは久しぶり。
その紅鏡のような瞳と目を合わせた。
「行ってきます!」
「……行ってらっしゃい」
諦めたような声。私は腕を解き、振り返らずに階段を下っていった。