ミヅキの冒険~Adventure diary~

今、旅立ちの時。

第1章 7話

―光陰の斥力―

 

 

 

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ハテノ古代研究所にて

AM11:00

 

 ハテノ牧場前、少し急になってきた坂に立てられている看板にはこう書かれている。「あぶないよ? いい子のみんなは来ちゃダメ」。所長の子供嫌いが透けて見えるようで、見慣れているのにクスッと笑ってしまう私がいる。

 この先はハテノ古代研究所だ。丘の頂上に建っているその怪しげな外観からは、いつも通り煙突の煙がもくもくと出てきている。

 それを眺めながら歩いていると、2個目の看板が見えてきた。「お子様へ! しょく台で遊んではいけません!」。研究所の動力である青い炎を灯すための、中間地点として建てられた燭台のことだろう。今も風に煽られながらも無事灯っているので、しばらくは古代炉から炎を運んでくる必要はなさそうだ。

 しばらく歩いて3個目。「あぶない! 子供は今すぐ引き返すべし!」。この看板を見てもなお引き返さなかった好奇心の塊のような幼いころの私を思い出す。あそこなら本がたくさん読めるはず、と貪欲に知識を欲した過去。それが今の私に繋がっている。

 4個目の看板。「かまどは熱い! 触るな!」。おそらくこれが危険の原因だ。研究所内の人間が一度大火傷を負ったので後続を出させないために書いたかのような緊迫感が感じられる。そんなことに思いを馳せながらかまどを見ると、いつものように青い炎がメラメラと燃えていた。

 兵士の両手剣ほどの重さになったフレッシュミルクの箱を持ちながら、ハテノ古代研究所のドアを開ける。手を握り、その後に親指と人差し指と小指を出したポーズを繰り出しながら、所長がいつも使う挨拶を模してこんにちはの代わりに言い放った。

「チェッキー!」

 

 

PM12:00

 

「にっちゅ〜!」

 チェッキーのイントネーションで日中、とにこやかに返したこの方はプルアさんだ。少女のような見た目だが古代研究の第一人者で、私が勉強などを習った先生でもある。

「こんにちは」

 対して普通に挨拶してくれたこの方はシモンさん。白髪なのはシーカー族の特徴だが、おじさんと言える年齢なので大した違和感はない。プルアさんと同じくらいお世話になった方。

 研究所のテーブルには何やら難しいことが書いてある紙や分厚い書籍が散乱しており、箱を置くスペースはない。とりあえず被害の少ない入り口に置いて、先にお詫びを言わなければ。

「昨日はフレッシュミルクの配達を忘れてしまい、すいませんでした……これは今日の分です」

「いいヨいいヨ! それにフレッシュミルク頼んでんの弟クン、でしょ♪」

「寂しがってましたよ、行ってあげてください」

「えっ……はい、分かりました!」

 

 

 昔、私は本が大好きな子供で、自宅や近所の家に置いてあった本、それに行商人から買った本など多種多様な書籍を読み漁っていた。そしてタデさんに近づくなと言われていたにも関わらず、読める本を求めハテノ古代研究所まで赴いたのだ。てっきり小うるさい婆さん、がいると思っていた私は拍子抜け。そんな人物はどこにもいない。シーカー族の女の子、プルアさんに聞こうとしたが同世代の子供が嫌いなのか追い払われてしまい、今度はシモンさんに尋ねることにした。しかしはぐらかされて何も聞けやしない。諦めず通い詰めた私にシモンさんはやっと折れて、内緒話をするようにそっと教えてくれた。髪の毛が白くて、眼鏡をかけていて、四角い箱を背負ったプルアさん。あの方こそが、古代技術アイテム「アンチエイジ」で若返ったハテノ古代研究所の所長なのだと。

 古代技術アイテム。これほど唆る言葉はない。持ち前の辛抱強さでプルアさんに詰め寄り、たくさんの質問をした私は、だんだんとハテノ古代研究所に入り浸っていくようになった。小さいころ高熱を出したとき以外は今も欠かさず通っている。今ではプルアさんもシモンさんも私を教え子のように思ってくれており、養子縁組した男の子を義弟として接してねと頼んでくれたほどだ。それが行商人である弟とは違う、もう1人の弟。

「ヨウター!」

 

 

PM1:30

 

「ミヅキ?」

 ヨウタは一つに縛った青い髪を靡かせながら悠々と座っていた。サイロを改造して設計されたハテノ古代研究所は壁に螺旋状の階段が取り付けられており、頂上にあたるプルアさんの部屋まで続いている。それに丘の高さもあって来るだけで怖気づくような高所に、毎回座しているのがこの弟である。

「フレッシュミルク、入り口に置いといたよ。昨日忘れちゃってごめんね……」

「別に気にしてない」

 ヨウタはそう言いながらぽんぽんと床を叩き、隣に座るように促した。私もすっかりこの高所に慣れているうちの1人なので、板の上からブラブラと足を出して座ることができる。そのまま雄大なハテール地方を眺めていると、ヨウタが三角状の何かを渡してくれた。

「昼飯、食べてねぇだろ」

 それは葉っぱに巻かれていて、包みを開けると食欲そそるケモノ肉の香りがあたりに広がった。に、肉おにぎりだ!

「いいの!?」

 よほど私の目が輝いていたのかヨウタはこらえるように笑い、快く了承してくれた。

「いただきます!」

 手が汚れてしまわないよう葉っぱを重ねて肉おにぎりを持つ。口を大きく開けて頬張ると、甘辛いケモノ肉の美味しさが全身に染み渡った。ふっくらしたハイラル米もほどよくそれを引き立てており、思わず渾身の「うまい」が飛び出てしまう。嬉しそうに少し微笑んだヨウタは、簡素に「どうも」と返した。

 あっという間に2個目も平らげてしまい、後から重大なことに気づく。弟にこんなにお世話になっちゃっていいのか。慌ててポケットに手を突っ込む様子を訝しげに見ていたヨウタに向けて、勢いよく手を開いた。

「はい!」

 がんばりハチミツアメである。それも3個。

「……オレに?」

 そりゃそうだろうと思いながら袋を開ける。中に入っているのは金色に輝く飴玉。ガンバリバチのハチミツを煮詰めて固めたもので、ほのかな甘みは私たちの心をいつも癒やしてくれる。そのまま手渡すと、ヨウタは恐る恐る摘んで口に入れた。頬でコロコロと転がす音がする。

「うめぇ……」

 私はふふん、と得意げな顔をしてから、ヨウタの手に残りのがんばりハチミツアメを握らせた。

「お姉ちゃんがいなくても強く生きるんだよ!」

 

 

 その瞬間、空気が凍りついた。ヨウタの目が冷たく光り、私を極寒の眼差しで睨む。

「“旅立ち”なんてまだ早いんだよ」

 ヨウタはこの手の話題に敏感だ。私が未熟で勉強不足なのは重々承知してるけど、やっぱりハテノ村の近隣以外のハイラルもこの目で見てみたい。旅立ってみたい。  

「ヨウタの言うことも分かるよ、でも」

「まず行き先が遠すぎる。何日かかると思ってんだ。馬でも結構かかるぞ」

「飛行訓練場にしたのは私だよ。弓を使うものとして行ってみたくて」

「それに1人だけで旅立つなんて危険すぎる」

「旅人って基本1人だと思うけど……」

「そんで結婚相手を見つけて自宅構えるって、ゲルド族じゃねぇんだからさ」

「旅の中でそういう人を探すって大変だけど、素敵なことだと思うんだ」

 何が何でも行く姿勢を見せる私に、ヨウタは刺々しく声を張った。

「あとオレ、弟じゃねぇし」

 義弟だとしても私の中では弟だ。反論しようと口を開くが、慌てて踏みとどまる。ヨウタの顔は怒りの色ではなく、わずかに悲しい色を帯びていた。シモンさんの寂しがってましたよ、という言葉は本当かもしれない。

「ごめんね、ヨウタ」

 抱き締めると、暖かい太陽の匂いがした。ヨウタの上がっていた肩がゆっくりと下がる。こうやってくっつくのは久しぶり。

 その紅鏡のような瞳と目を合わせた。

「行ってきます!」

「……行ってらっしゃい」

 諦めたような声。私は腕を解き、振り返らずに階段を下っていった。

第1章 8話

―繋がる冒険―

 

 

 

PM2:30

 

 木製の階段を降りていくと、その先にプルアさんとシモンさんが見えた。心配そうな表情を浮かべながら私を見上げている。

「ミヅキ、大丈夫?」

「激しい口論が聞こえたのですが……」

 安心させるようににっこり笑って、リズミカルに階段を駆け下りた。それを目で追う2人。

「ヨウタに渋々ながら“旅立ち”の了承を得ました。姉の旅をこれほどまでに案じてくれる弟をもてて嬉しいです。心配かけないように頑張ります!」

 トンッと地に足をつける。赤色の眼鏡を掛け直しながらプルアさんが呟いた。

「それならいいケド、やっぱり離れるのは寂しいワ。ほら……読み終わってない本もたくさんあるでしょ?」

「全部読みました!」

 自信を持って告げる。最近しれっと本棚に追加された星座に関する学術書も1日で読破した。今でも本好きは継続中である。

「……ハイラル図鑑の記述を紙に写す件は」

「全部書きました!」

 写真も鉛筆で模写して記載、奥の棚に置いてありますよとシモンさんに報告する。文章は貸してもらった毛筆を使っている。

「立つ鳥跡を濁さずってわけネ」

「もう何も言えないですよ」

 少し笑った2人にもう不安の感情は見られず、息を吐いて安堵した私。強く引き止められたらせっかくの決心が崩れ去ってしまうかもしれない。いつまでもこの平和なハテノ村で暮らすという代わり映えのない毎日は甘美な誘いだが、私は変化を望んでいた。

 あ、そうだとプルアさんが懐から取り出したのは、ずっと貸してもらっていた筆だった。穂の部分は筆帽で隠され、青い軸に巻き付いている水色のリボンは目印に付けたものである。

「持ってっていいわヨ」

「えっ、でも……」

「いいから、ネ♪」

 墨や紙とともにぐいっと押しつけられて無理やり持たされた。これは貸してもらったものなのであって返すべきと思うのに対し、愛着もあるしご厚意なんだから貰うべきとも思う。結局ニコニコ顔で見つめてくる2人に負けて、待ち構えていたかのように腰にあるポーチに入れた。すっぽり嵌まったのでびっくりしてしまう。改めて2人に頭を下げ、お礼を言った。

「ありがとうございます……いや、ありがとうございました!」

「何言ってんのヨ。今生の別れでもないでしょ? しっかり胸張って行きなさいネ!」

「そうですよ。帰ってくる日をヨウタとともに心待ちにしております」

 今一度頭を下げ、フレッシュミルクの箱を回収して丘を下るが、耐えかねて振り返る。引き返すなら今だと弱音を吐く自分を振り切って片手をあげ、大きく振った。

「さようなら!」

「はいほ〜い」

「それでは……」

 両手で手を振ってくれるプルアさんと少し礼をして微笑むシモンさん。2人に背を向ける前にハテノ古代研究所の頂上へ目を向けるが、そこにヨウタの姿はなかった。

 ポツ、と何かが頭を軽く叩いたので上を見上げると、灰色に濁った雲が青空を覆っている。小雨が降る合図だろう。少し早足になりながらイースト・ウィンドを目指す。音も立てずに降る雨は優しく、芝生が光を受けて輝いていた。地面に向けていた目を遠くにやると、山が二つに割れたような形の双子山が見える。その先の様々な色彩の山々にも目を向けていたら、うっかり木に激突しそうになった。ぼーっとするのはよくない。

 

 

PM4:35

 

「ただいまー!」

 イースト・ウィンドの戸を開けると、カウンターにお父さんの姿が見えた。短い黒髪を前に一つ垂らし、三つ編みにしている。

「おかえり。ちゃんと全員に配達したか?」

「うん!」

 そう言って空になった箱を見せると、顔をクシャッとさせて笑ったお父さん。軽く私の頭を撫で、箱を台の下に入れる。嬉しくなった私はカウンターに両腕を乗せ、嬉々として今日の報告をした。花瓶に生けた黄色の花が揺れる。

「朝ね、いつも通りハテノ牧場に行ったんだけど、珍しく師匠がいたんだよ! 一緒にシカ狩りしたんだけどね、いつもより2匹多くて」

「ミヅキ。その師匠がハテノ村にしばらく留まる場合に限ってフレッシュミルクを配達するんじゃなかったか? どう言ってた?」

「……あっ」

 そういえばそうだったかもしれない。師匠はハイラルの復興のため彼女さんと各地を忙しく回っているという。長期の休みのときだけハテノ村に留まり、ゆっくりと休暇を過ごすのだ。その休みなのか聞くのを忘れた。どうしよう。お父さんがすかさず助言をする。

「家を訪問するのはどうかね?」

「そ、そうする。ありがとうお父さん!」

 

 

PM5:25

 

 サクラダ工務店のモデルハウスを抜け、木製の短い橋を渡った先にある風情溢れる建物。左側の木の下に料理鍋が置かれ、右に可憐な花畑、赤い屋根に白い壁。先ほどの小雨で窓がキラキラと光を放っている。玄関に立てられた表札は少し主張が強いかもしれない。

 玄関のほうへ歩を進めると、扉の向こうから師匠を呼ぶ可愛らしい声が聞こえてきた。幸せな時間を邪魔することに罪悪感を感じながら、コンコンコンとノックをする。しばらく蔦がかかった庇の下で待つ。扉が開けられたとき、そこに立っていたのは笑顔が素敵なお姫様。

「あら、こんにちは。どのようなご用件で?」

「こんにちは。師匠……リンクさんはしばらくハテノ村に留まるご予定でしょうか?」

「そうですね。休暇をいただきましたので、って重そうな荷物! 上がってください!」

「えっ、ぜ、ゼルダ姫様! 大丈夫です私が持ちますからっ!」

 

 

 案内された席へおそるおそる座る。向かい側にいるのは肩肘をついてゼルダ姫様を見つめている師匠だ。フレッシュミルクを棚に整頓するゼルダ姫様は容姿端麗で、早々にあの箱を取り上げたことは間違いじゃなかったと思う。お気持ちはありがたいが、やっぱり恐れ多い。

「もう明日で“旅立ち”なんだよね?」

 視線を私に移し、探るような口調で言う師匠。しっかりと目を据えて頷くと、師匠は肘を戻して真面目な顔をする。

「最近は赤い月もあまり出てこなくなったし、魔物の数も前よりかは少ないけど、気を抜かずに用心深く行動すること。弓や盾の耐久度、打てる矢の数、自分と相手の体力。シカ狩りだけでは知り得なかったものもたくさんある」

 ゼルダ姫様を助けるために冒険した師匠の、勇者としての経験は計り知れない。それを見聞きしてたくさん学んできたのは、明日から始まる“旅立ち”のためだ。

「もちろん、シカ狩りで成し得たものも十分に活用してほしい。俺の使う回避ジャストとか落下したときの集中を全部距離で補うあの技……何事も努力だね」

 うんうんと頷く師匠が言っているのは、シカ狩りで扱っている「跳躍」のことだ。

 敵の攻撃を回避したときや高いところから落下したとき、師匠は刹那が遅く見えるという。プルアさんはタキサイキア現象を自ら引き起こしているとの見解を示しており、師匠は回避時を「回避ジャスト」、落下時を「集中」と呼んだ。そこから時間を遅くするのではなくそもそもの時間を長くすればいいのではと思いつき、回避や落下時に高く跳び、落ちていく際に通常より多く矢を放てる「跳躍」を身に着けた。師匠に出会ったとき、その御業に惹かれて特訓してきた成果である。

 えへへと口角を上げて照れていると、ゼルダ姫様が師匠の隣にちょこんと座った。

「リンク、前に何かミヅキさん……に渡したいものがあると言っていませんでしたか?」

「あぁ、そうだった。ありがとうゼルダ

第1章 9話

―月光の守護者―

 

 

 

 師匠はおもむろに立ち上がり、階段下の倉庫に向かった。ものの数分で返ってきたその両手には、鞘が大きな曲線を描いた剣が握られている。テーブルに置かれると金属的な音がした。

「1人では危険だ。これを授けよう」

 師匠は呟き、慎重に鞘を抜く。鋭く銀色に光る刃はまるで三日月のよう。それを支える柄は金色で、細かい装飾が美麗だ。

「これを……私に?」

「くれたものは貰う。ハイラルの掟だよ」

 見上げた先の師匠は、真っ先に断ろうとした私の心を読んだように微笑んで頷いた。

「月光のナイフ、といいます。特別に高価なものではありませんよ。赤き月の刻、ゲルド高地の洞窟にて魔物のように復活するのです。あまりに不可解な現象ですが、復活する武器は各地に多数存在し、調査の手が回っていないのが現状です」

 ゼルダ姫様が優しく補足する。それならいいのだが、復活の件が気になりすぎて仕方がない。実際ハテノ村の木のオタマだって、壊れたときには赤い月で復活するのである。

「な、なるほど。そうなんですね……丁寧な解説、ありがとうございます」

 調査の手が回ることを祈りながら、月光のナイフを持つ。しかし私の手には馴染まない。

「あの、師匠。失礼を承知で聞きますが、弓ではなく剣であることには、何か理由があるのでしょうか……?」

「どうせ剣を持っていかないことだろうと思ってさ。火打ち石から火をつけるには?」

 リンク、こちらのほうが失礼ですよとゼルダ姫様が小声で叱る。

「金属製品で鉱床や火打ち石を叩くと火種となる火花を飛ばすことができる、ですよね。もちろんそのためにも剣は持っていくつもりです。戦闘には使いません」

「まぁ使わなかったら誰かに渡すでもいいよ。持っていて損はないだろ?」

 私が礼を言ってそれをしまうのを見届けてから、師匠は席を立つ。ゼルダ姫様に手を差し伸べる姿は近衛騎士だったころを彷彿とさせた。それに応じるゼルダ姫様は微かに頬を染めており、長く伸ばしていたものをばっさり切った金色の髪が優雅に揺れる。

「ミヅキさんごめんなさい、これからプルアに会いに行かなければならないのです。時間があればゆっくりとお話をしたかったのですが……新たな門出、“旅立ち”のほう、ご健闘をお祈りしていますね」

「もし行った先が気に入らなかったなら戻ってきてもよかったはずだ。つらくなったら逃げてくればいい。まぁそんな野暮なことはしなさそうだけどね。何にせよ弟子の巣立ちは寂しいもんだ……精一杯、頑張れよ」

 優しさと温かみを感じるありがたいお言葉。ドアノブに手をかける前に、ハイラルの危機を救ってくれた勇者と姫に対してのお礼、それとお世話になった分のお礼を込めて、深々と頭を下げた。

「ありがとうございました!」

 

 

PM6:30

 

 お父さんに師匠たちはしばらくハテノ村に留まること、ご厚意で月光のナイフをいただいたこと、“旅立ち”を祝福してくれたことを伝えると、光栄すぎると冷や汗をかいていた。確かに月光のナイフの重みが全然違う。大事にしなければと思いすぎて使い所がなさそうである。

 イースト・ウィンドを出て空を見上げると、小雨は止んでいるものの隅から隅まで曇天だった。しかし私の心はウキウキだ。今日の夜は旅に慣れるため、そして人生初のふかふかベッドを体感するため民宿 トンプー亭で寝ることにしたのである。あそこのベッドは格が違うらしい。一瞬で眠りに誘われるそうだ。それほどの効果があるなら明日の天気を“旅立ち”に合うような快晴にしてくれないかな、と思いながら箒を取り出す。イースト・ウィンドの手伝いも今日で終わりだ。感傷に浸りつつ、ひたすら地面を掃いた。

 

 

PM9:50

 

 今日の夕ご飯はチキンピラフにしようと手伝いをしながら考えていたので、もう口がチキンピラフを待ち構えている状態である。このことを俗に「口がチキンピラフになる」というのだろう。

 お母さんの書いていた料理日記の内容を思い出しながら、材料を取り出していく。

「トリ肉、数本」

 とりあえず1人分なので1本。

ハイラル米、適量」

 何となく食べれるぐらいの量。

「トリのタマゴ、数個」

 割と大雑把だなぁと思ったが、メモに多少量を間違えても美味しく仕上がると書いてあったので信じることにする。使いすぎはよくないから1個にしよう。

「ヤギのバター、1個」

 共同炊事場に並べておく。

 楽しい料理のお時間です!

 

 

 料理鍋の下で、先ほどつけた火が薪を消費している。全部の材料を躊躇なく入れると、よしきた、とばかりにジュージューと焼いていく音がした。しかし弱火で熱さなければいけないので、やる気があるのに申し訳ないと思いながら火力を弱くする。随分と遅めの夕ご飯になってしまったため近所迷惑にならないよう鼻歌は歌わず、ウキウキしながらしばらく鍋の中をかき混ぜた。木のオタマから手を離した途端、白い煙があがる。

「よしっ!」

 結果は成功だった。

 さすがは我がお母さんのレシピである。ふっくらとしたハイラル米の山はよだれが出るほど美しい。合掌。

「いただきます」

 スプーンに乗った小山もこれまた絶景だが眺めている場合ではない。速攻で口に入れる。

 ハイラル米の美味しさに衝撃を受け、体がピタッと固まった。トリ肉のダシ汁が深層まで染み込んでいる。ゆっくりと咀嚼するとトリ肉からまた旨味が溢れ、困ってしまうほどに美味しい。時間をかけた甲斐がある。

 気がついたらお皿の上からチキンピラフが消失していた……基本的に私の食事は無意識の間に行われることが多い。いつも通りに口の周りを拭き、再び手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

 

 

PM10:00

 

 ハテノ村の大通りを進んだ突き当たりにある大きなランプが掲げられたお店、民宿 トンプー亭。看板は青色の背景に三日月が描かれており、個人的に一番好きな看板である。店内は暖かい木の造りで、カウンターにはマンサクさんの好きな人、ツキミさんが笑顔で立っていた。その笑みの可憐さからハテノ村のナンバーワン美女という称号は過言ではないことが分かる。

「こんばんは。トンプー亭ヘようこそおいでくださいました」

 ツキミさんとは何度か話したことがある。しかし今の立場は店員とお客さんで、距離感のある会話に何だか変な気分になってしまう。

「普通のベッドなら20ルピー、ふかふかベッドなら40ルピーです」

「ふかふかベッドでお願いします!」

「かしこまりました。ふかふかベッドのお部屋一泊一名様ですね」

 張り切りすぎて大きめの声になってしまった私を小さく笑い、ツキミさんは問う。

「お目覚めはいつごろをご希望でしょうか?」

「朝の5時ごろ……にします」

「かしこまりました。お時間までごゆっくりお寛ぎくださいませ」

 ツキミさんに案内された先のふかふかベッドはもはや雲の上だった。従来のベッドへの価値観が変わる、そのコウゲンヒツジのようなふかふかさに驚愕する暇もなく瞼が重くなっていく。まだこの暖かさを感じていたいという気持ちとは裏腹に、だんだんと意識は遠くなっていった。

 

 

AM5:00

 

 まるで薄青の染料がブチ撒かれ塗り込められたかのような雲一つない快晴。間違いなくふかふかベッドの効果だろう。モーニングコールも正確で、シカ狩りのない朝は壊滅的に起きられない私でも起きることができた。ハイラルの宿屋では必須の技術らしい。尊敬である。

 ツキミさんがカウンターのある1階に戻った後、事前に持ってきた“旅立ち”用の服をベッドに広げた。胸を躍らせながら袖を通して靴を履き、試しに軽く「跳躍」。最後にリボンのループタイを留めると、違う自分に生まれ変わったような心地になった。大切に着ていこうと意気込みを込め、まだ汚れのない旅衣をゆっくりと撫でた。

第1章 10話

―旅立ち―

 

 

 

 ベランダに出ると見慣れた先客がいた。いつもここでお酒を飲むワターゲンさん。顔をリンゴのように赤く熟して分かりやすく酔っているが、身なりは小洒落た旅人だ。息の匂いは別として、ハイラル各地の情報を教えてくれる存在はとてもありがたい。民宿 トンプー亭に泊まったことこそないものの、ツキミさんやワターゲンさんと話す機会はたくさんあったのである。

「おはようございます!」

「やぁ! 同志よ!」

 どうやら私が今日“旅立ち”に臨むのを知っていたらしい。ワターゲンさんは世界を旅して回る冒険者を同志という呼称で呼ぶ。その人の冒険心に溢れた双眸を見れば自ずと分かるようだ。私も仲間として見られているんだと嬉しくなる。

「確か最終目的地は飛行訓練場……リトの村なんだろ? ここから遠いしちゃんと準備して行けよ」

「はい。それについては入念にしましたので大丈夫です!」

 ワターゲンさんは前に4つの集落について教えてくれた。ゴロンシティはハテノ村からずっと北のオルディン地方、燃えるように暑いゴロン族の地。ゲルドの街はハテノ村からはるか西のゲルド砂漠、女性しか入れず男性は門前払いされるゲルド族の地。その2つは近くまで行ったには行ったらしいが辿り着く前に引き返し、道中が険しいゾーラの里、ここから遠いリトの村にはもはや赴いたこともないようだった。

 しかし知ってしまったら俄然調べたくなるのが私である。それぞれを文献で詳しく調べ、リトの村から近い飛行訓練場、という場所に興味が出てきた。“旅立ち”の行き先を決めることができたのはワターゲンさんのおかげともいえる。

「そうか。おまえが行くなら俺も、もう一度……旅に出てみようかな。どっか遠いところに」

「ゴロンシティもゲルドの街もゾーラの里もリトの村も、調べてみてとっても素敵な場所だと分かりましたよ。またワターゲンさんの旅のお話、聞きたいです。あっ、女装はよくないですけどね?」

 以前ワターゲンさんはゲルドの街について女装でもすりゃ入れたかもなぁ、と小さく呟いていたのだ。ワターゲンさんは私の真剣な眼差しに吹き出し、豪快に笑う。

「ありがとよ。お互いよい冒険をな!」

「……はい! こちらこそありがとうございました!」

 

 

AM6:15

 

 今日の朝ご飯はシカ狩りの時間に追われることのない、優雅なひとときを過ごすことができた。トリのタマゴをふっくらと焼いて綺麗に仕上げたたまご焼きに、トコユさんに貰ったフレッシュミルクを適度に温めたホットミルク。美味しさの余韻を感じながらイースト・ウィンドに戻ると、カウンターの前にお母さんとお父さんが並んでいた。

「おはよう、ミヅキ。よく眠れたか?」

「うん! 朝ご飯もちゃんと食べた!」

「その服、似合ってるわよ。準備は万端?」

「ふふっ、ありがとう。リュックを持ったら万端だよ」

 カウンターの端に置いてあるリュックを見る。コンパクトに纏められているものの機能性に長け、盾や剣などを付けられるような構造をもったそのリュックはハイラルを巡る旅人の必需品。“旅立ち”に使うものはランプ以外に何も付けられていない状態だったはずなのだが、なぜか兵士の弓、兵士の盾、兵士の剣が勇ましく取り付けられていた。

「そこの武器は復興が進むハイラル城下町から調達したものよ。今持っている騎士の弓と併用して使ってね」

 私が不思議そうに武器を見つめているのに対してお母さんが答える。確かにこの間ハイラル城下町の鍛冶ギルドがめでたくオープンしたと聞いた。

「木の矢は15本。炎の矢、氷の矢、電気の矢、バクダン矢は5本ずつ。私が作って入れておいたからな」

 お父さんはリュックを私に渡す。両肩にかけるとかなりの重量感があるが、その重さが嬉しい。旅の途中で落ちているものや魔物が持っているものを貰って使おうと思っていたのに。

「よろず屋に生まれたからにはちゃんとした装備で行かなきゃその名が廃るだろう?」

「そうよ。それに、愛しい娘の“旅立ち”だもの。精一杯の応援をするのは当たり前だわ」

「ありがとう……! お母さん、お父さん!」

 顔を見つめていると涙が出そうで、2人をぎゅうっと抱き締めると同じように抱き締め返してくれた。この温かさを感じれるのはまた随分と先になる。もう一度ありがとうと呟くと、お母さんとお父さんは何も言わずに腕の力を強くした。いろんな感情を確かに感じとり、その思いに応えなければと改めて決意を固めた。

 

 

AM7:00

 

 振り返ってイースト・ウィンドの扉を閉めようとすると、中から2人の会話が聞こえた。

「これでよかったのよね?」

「……それが、運命さだめだ」

 お母さんとお父さんもいまだに悩んでいたのか、と閉めることを躊躇う。しかしもう引き返すことはできない。微かに震えたお母さんの声と毅然としたお父さんの声に別れを告げつつ、長年開け閉めしてきた扉をキチンと閉め、ハテノ村の門に赴いた。門番のタデさんは珍しく不在。1人で“旅立ち”を迎えろと、そういう意味合いがこもっているのだろう。これからの旅路はずっと1人だ。寂しくなんてない。

 リュックを背負い直し、兵士の弓を取ってちゃんと弦が張っているか確認する。騎士の弓は後から使えるようリュックの中に入れた。矢立てに入っている矢はお父さんが言った通りの数で、盾と剣の損傷はまったくと言っていいほどない。さすが新品だと感嘆の息が漏れた。すべての確認事項を達成するが、踏み出す勇気は湧いてこない。

 振り返ると、ハテノ村は変わらず動いていた。子供たちは掲示板の前で絶えずはしゃぎ、アマリリおばあちゃんとナギコさんがそのままの意味で井戸端会議をしている……あっ、おばあちゃんとおじいちゃんに会いに行くのを忘れていた! そのとき、アカエゾおじいちゃんがサクラダ工務店のモデルハウスのほうから歩いてくるのが見えた。これ幸いと走り出そうとして、踏みとどまる。おばあちゃんは小さく、おじいちゃんは大きく、私に手を振ってくれていたのだ。もう門の前で引き返すのは野暮なことなのかもしれない。私も見えるように手を振る。

「今まで……ありがとうございましたー!」

 おばあちゃんとおじいちゃんは微笑んだ後、本来の目的に戻っていった。

 上げていた手を戻し、またハテノ村を見渡す。オレンジ色の屋根から突き出した煙突は鮮やかな木々とともに青空を彩り、まるでたくさんの染料を使った絵画のような美しさだ。

 しかし遠くに見えるハテノ古代研究所からは常時白煙が出ているため、確かに不気味に見える。そこからいるはずのない幼い女の子が出てくるとなれば、一部の村の人たちがオバケとして怪しむのも頷けるだろう。正体はプルアさん……いや、私だ。門の柱にできた影が、俯いた顔を覆う。

 私がまだ幼いころ。怪しいハテノ古代研究所に入り浸っていたせいなのか、村のみんなからオバケと呼ばれ、意図的に避けられてしまったときがあった。悲しみに暮れ、深く落ち込み、塞ぎ込んだ私を助けてくれたのは、あのハテノ古代研究所の頂上にいつも座っている弟。

 目を向けても、そこに姿は見られない。あまりにも危険な“旅立ち”に行動で反対しているのだ。できれば意見が対立することなくこの日を迎えたかったが、これに関しては絶対に引けない。

 頑然とした覚悟で瞼を閉じる。私を支えてくれた恩人たちの顔を一人一人思い浮かべながら、愛しきハテノ村に背を向けた。おさげに縛った暮色の髪を揺らし、蒼然たる目を開ける。

 私の1歩を合図にして、“旅立ち”が息吹く。

第1章 11話

―雪よけの羽飾り―

 

 

 

AM8:00

 

 門を出た両端、赤い炎が灯された燭台を抜け、村人や旅人たちが往来してきた道を下っていく。そのゆったりとした時間の中で、“旅立ち”についての決まり事を今一度思い出していた。

 “旅立ち”とは。ハイラル王国の姫と元近衛騎士の勇者により諸悪の根源が断たれ、平和な世界が再び訪れたこの大地で新たなる見聞を広げるべく考案された、私への試練である。お父さんとお母さんが企画立案し、17歳の誕生日にラネール山に登ったのち言い渡された。これは記録するだけの私的な冒険日記だが、万が一のために“旅立ち”の決まりを箇条書きで記しておく。

 

・歳が17であるうちにハテノ村を発つこと。

・誰かに同行を頼まず、1人で赴くこと。

・行き先は事前に決める。変更はしないこと。

・大幅な寄り道はなるべく避けること。

・可能であれば結婚相手を見つけること。

・ハテノ村からの移住も考慮に入れること。

・一度はハテノ村へ帰郷すること。

 

 詳細な決まりは省く。このような規則はあるものの人生の道筋に大きく関わるため、割と自由な意思で旅を行えるのが特徴。行き先が気に入らなかったなら戻ってきてもよいというのもかなり甘めな設定だが、もちろん厳しい面もある。17歳の私一人で歩き回るにはハイラルという肥沃で広大な世界はあまりにも危険。師匠の言葉や数多の書籍が警告してくれたその事実に、実感はなくとも恐怖が震えとなって襲ってくることもある。しかし私は“旅立ち”に背を向けず、受け入れることにした。理由はただ単純に好奇心、平和な現状からの刺激、それともう一つ。

 誰かに呼ばれている気がするのだ。特定の人物を指すものでなく、どこか、や何か、にも該当する。その正体不明の呼び声は、私の中に眠っていた勇気をひときわ輝かせ、突き動かした。まるで姫が勇者を呼び寄せたときのように、旅の道中で何が待ち受けようとも、私は必ずそこに着く。

 

 

AM8:20

 

 後ろにぶち柄をつけた茶色の馬が、桃色のスカーフをおしゃれに掛けた女の人を乗せて前方から歩いてくる。旅は人との縁がつきもの。師匠のように積極的に挨拶をしようと決める。

「こんにちは!」

「ねぇキミ……寒かったり暑かったりとか大丈夫?」

 突然の問いに驚きが隠せない。大丈夫ですよ、と慌てて答えるが、女の人は依然むむむと私の服装を見つめていた。

「あっ……私、寒いのには強いんです! 反対に暑いのには弱くて。だからこういう肩まで布がいかないデザインにしたんですが……」

 私の着ている青のベストと白のシャツは、脇のところですっぱりと切れているのが特徴。そのおかげもあってか近頃は涼しく快適に過ごせている。

「なるほど。ハテノ村ってぽかぽかしてるように見えてラネール山からの風で若干寒いじゃない? びっくりしちゃった。強いのね」

 女の人はトトマさんという名前らしい。おしゃれに関心があるようで、服装や見た目へのこだわりがとっても強いそうだ。私は年中同じ服を着回していても気にしないタイプなので尊敬してしまう。

「寒い地域と暑い地域では服を着替えるのが快適に過ごすコツよ。ちゃんと着替えを持って旅してるんでしょ?」

「……行く先で買う予定です」

「ちなみに行き先はどちらへ?」

「飛行訓練場、です!」

 

 

 成り行きのまま雪よけの羽飾りというものを貰ってしまった。飛行訓練場と聞いて瞠目したトトマさんから渡されたもので、何回も何回もお礼を言うと「寒い地域や暑い地域ではちゃんと着替える事! これが快適に過ごすコツよ!」と念押しされてしまった。私が凍えて先に進めなくなってしまうことを案じてくれたのだろう。お金を支払おうとすると、ちょうど2個持っていたのと下げられてしまった。何ておしゃれさんでいい人なんだ。

 トトマさんに別れを告げてから、そこまで広くはないギナビーの森とドルミの森の間を進む。木漏れ日に雪よけの羽飾りを翳すと、マシロバトの羽を使ったと思われるイヤーフックがキラキラと輝いた。本来はここにリト族の紋章のアクセサリーが付いていたらしいのだが、過ってとれてしまったらしい。それでもう1つ買ったのだとトトマさんは言っていた。

 しかし私は代替品をすでに付けている。幼いころお母さんに貰った月の髪飾りだ。三日月を象ったそれは前に付いていたアクセサリーと酷似しているらしく、上手く付けられれば効果も持続するかもしれない。効果というのは防具に付与されるもので、雪よけの羽飾りだと寒さガード、つまり寒さへの耐性が上がる。リュックにしまうと心なしかぽかぽかするような心地がした。心の中でトトマさんに感謝の気持ちを述べながら、木々の下を潜っていった。

 

 

AM8:45

 

 クス湖の右側を進む。昔、馬術訓練に使われていたという小さい森の先の崖の上には、青い光を煌々と輝かせるハテノ塔が見えた。師匠はあの塔で地図を描き足したらしい。

 芝草の間の道は歩きやすく、旅人の足や馬の蹄で何回も踏みしめられ固められてきたのだろうと一人一人の旅を連想させた。そのとき、長くなった芝から飛び出してきたもの。

「ボコブリン……!?」

 赤い体躯、頭には角。ハイラルで魔物と呼ばれる禍々しい生物。振りかぶって殴りかかろうとしてくるところを素早く躱し、道を駆ける。その先には強さの違う青ボコブリン。同じようにひらりと躱す。

 まさかこんな早くから遭遇するとは。諸悪の根源が討伐されたことでハイラルの魔物の数は減ったように思われたが、まだまだ細かい部分は退治しきれていない。そんな現状をプルアさんから聞いている。

「しつこいですよ……!」

 そしてずーっと追いかけてくる。その執念はどこから来るのだろう。ひいひい言いながら逃げていると、だんだん足音が聞こえなくなった。後方を確認し、安心の溜め息をついて前を向くと、真正面にロバの顔。

「え?」

「いやぁ、災難だったね。もう来ないようだから安心して。ってあれ、イースト・ウィンドの?」

 横を向くと緑色の服を着て茶色の髪を縛った男の人が立っていた。ロバを連れてものを売り、商売を営む行商人だと見受けられる。

「そうです! 今日から旅人になりましたが」

「やっぱりそうか。いつもお世話になってるよ。ほんとハテノ村の食材は新鮮さが違うから行商するほうも気合が入っちゃうんだよね!」

「ありがとうございます! ハテノ村のみなさんのおかげです!」

「というわけで早速だけど……」

 名前はパラガスだと教えてくれながら、ロバに持たせた荷物を見せてくれる。

「何か買ってくれるとありがたいんだけど、とりあえず品物を見るだけでも……とはいってもほとんどハテノ村のものなんだけどね」

「あっ、全然大丈夫です買います!」

「ゆっくり見てって。別に急いでないからほんと……」

 見慣れたものも混ざる商品を見ていくと、ヤギのバターに目がいった。そういえば最近使い切ってしまったかもしれない。

「ヤギのバターを買いたいの? いくつ必要かな?」

 私の目線で察したのか、パラガスさんはごそごそとヤギのバターを取り出そうとする。

「えっと、全部買います」

「ヤギのバターを全部かい? それなら2個で24ルピーだよ?」

「はい!」

 代金を払ってヤギのバターを貰う。手の温度で溶けないように、すぐさまリュックにしまった。

「ありがとうね。えっと……もういいのかな?」

「はい。ちょうど足りていなかったので十分補充できました。ありがとうございます!」

「こちらこそ」

 パラガスさんがそう言うと、脇に控えていたロバも嬉しそうに鳴いた。“旅立ち”の出会いは一期一会だ。その一つ一つを大切にしなければ。

第1章 12話

―首刈り刀の執行者―

 

 

 

AM9:45

 

 「←ハテノ村 ハテノ馬術訓練場跡→」と書かれた看板の奥の木に、目印になりそうなほど分かりやすく垂れ下がっているガンバリバチの巣。ごめんなさい、と先に謝ってから奪取すると、案の定ガンバリバチが激怒して追いかけてきた。がんばりハチミツアメなどで頻繁に使用するため取らないという選択肢はなかったが、ブンブンと後ろから鳴り響く羽音は何回聞いてもやっぱり怖い。思わず謝罪を連呼してしまう。

「ごめんなさいごめんなさいすいません!」

 分かれ道を右に曲がりモミ川に沿って走る。ちなみに先ほどの看板はハテノ村に向かう人用のものだ。私から見て右はハテノ砦方面になる。ハテノ馬術訓練場跡は、まぁ、お馬さんがいれば迷わず寄っていた。いずれは乗るつもりだが。

 羽音が聞こえなくなると、疲れたころを見計らったように草むらから畑のフォークが飛び出す。ボコブリンである。

「もう……!」

 畑のクワを持った青ボコブリンが2体次々と出てきて、私の声色に若干怒りが混じった。畑のフォークは干し草を移動するときの道具、畑のクワは畑を耕すときの道具。持ってる農業用のもの全部、ハテノ村から掻っ攫ったものでしょ!

 耐えかねて兵士の弓を取り出す。ボコブリンたちの攻撃を走りながら躱し、ある程度距離をとった上で木の矢をつがえる。近距離なのでそれほど張り詰める必要はない。頭を狙って3本ずつ放つと、ボコブリンたちは吹き飛ぶように倒れた。

 ふぅ、と呼吸を整え、落ちたボコブリンの素材を拾いに行く。魔物を倒す術は知っているが、シカ狩りの経験しか得ていないので慣れはまだ身についていない。矢をぎこちない手でしまって、リュックに付ける弓の種類を変えながら、いまだに残る魔物の匂いを振り払うように前を向いた。

 見上げるとカリン高原の崖がそびえている。くり抜かれるように川が流れており、対岸にボコブリンたちがたむろする魔物の拠点が見えた。こちら側の川原にはバクダン樽。やはりハイラル城のある中央ハイラル以外は退治が追いつかないらしい。“旅立ち”の道中で遭遇することも多くなりそう、と行く末を危惧しながら、傾斜の少ない坂をゆるゆると下っていった。

 

 

AM11:10

 

 崖に遮られて影の多い道の先に、膝を曲げてうずくまっている人が見える。旅の途中で体調が悪くなったのだろうか。それともホームシックなどの精神的な理由だろうか。とにかく旅は助け合いが大事だ。足を速めて様子を窺う。

「大丈夫ですか?」

 茶色の髪を三つ編みにし、灰色のリュックを背負って同系色の服を縮こませている女性と思わしき人物。その顔は手で覆われており、どうやら泣いているようだ。しくしく……と零れる声に私も悲しくなってきてしまう。

「しくしく……欲しいの……」

「可能なものであれば差し上げますよ?」

「……焼き、サーモン」

「焼きサーモンですか、今は持ち合わせていないので調達してきますね。待っていてください!」

「……それから」

「それから?」

「貴様の命!」

 突然、赤い煙が広がった。言葉の意味と状況を飲み込めていないまま、一度距離を取られる。先ほどと姿がまるで違った。隠密行動において優れるような赤いスーツを着ていて、顔には目の形のマークがついた仮面。もしかして。

「イーガ団……?」

 ハイラル王家に追放されたシーカー族の一部がその始末を恨み、敵側と化した組織の名。逆さまになった紋章、厄災に向いた崇拝、ツルギバナナ好き。ハイラル図鑑や文献で閲覧した文章が絶えず頭の中に流れる。

 固まっていた私を仮面に描かれた目で見つめていた女性、いやイーガ団構成員が、煙とともに赤い札をばら撒いて消え失せた。知識の海から我に返った私は辺りを見渡す。よかった、よく分からないけど逃げてくれたみたい。その場を後にしようとした私の背後、音がして、振り返る。構成員がいる。後ろにくるくると体を回転させた後こちらに突撃し、逆手に持った首刈り刀を横に払った。反射的に身を退く。

 首に痛みが走った。抑えてよろけながら後退する。ゆっくりと外した手には赤。この人は、確実に、私の命を狙っているのだ。血の気が引いた。

「なっ……何で、私を」

 言葉は虚しくも無視され、構成員は後ろに何やら文字が書かれた赤色の円を浮かび上がらせたかと思うと、両手を特有の形で組み、また姿を消す。音がした。上だ。首刈り刀を突き刺すようにして攻撃してくる。あまりにも早い動作に下がろうとする足も滑り、尻餅をつく。幸い避けられたものの、構成員はその場で立ち上がり、顔を直接狙ってきた。横に転がり、立ち上がる際に騎士の弓と矢を取り出す。構成員は面白がるかのように少し顎を上げた。冷静になろうと息を整える。

 赤い札がばら撒かれた。私は草の上を走り、矢をつがえる。現れ、回転して迫ってきた。手が震え、上手く定まらない。無理だと悟った私は振られた首刈り刀を避け続ける。攻撃の手を止めた構成員。武器の柄の円を顔の横で回し始めた。仮面で表情が見えない。何か喋ってほしい。話せば和解できるかもしれないのに。あっ、私が弓を持ってるから駄目なのかな。そう思って武器をしまった私を構成員は見つめ続けている。首刈り刀の回転が止まった、と思ったら気だるそうに横に払われた。身を退いて避ける。

「あの、師匠、じゃなくて……リンクさんを狙っているんじゃなかったんですか?」

 何も反応がない。ただ攻撃を避けた。

「師匠があまりにも強すぎて標的を変えたんですか。回りくどいです。挑む方向が違いますよ?」

 全然聞いてくれている感じがしない。予想が当たっているのかさえも分からない。

「……私、人を傷つけるとか殺めるなんてことはしたくなくて。狩りや魔物との戦闘では苦しまないようにできるだけ一発で仕留めるんですけど」

 今も血が出てきている首を抑えながら、朦朧としつつも目を据えて、言葉を放つ。

「あなたを攻撃したくないんです。正々堂々リンクさんに挑んで、潔く負けてください!」

 構成員が首刈り刀を私に向けた。鋭利な刃先が怪しく光って、切創の血を浮き上がらせている。どうやら本当に、私が目当てなようだった。

「じゃあ、逃げます! それでは!」

 踵を返してハテノ村方面の川沿いに足を向けた。再び姿を消してくる。あぁ、本当に傷つけたくなかったのに。何で引き下がってくれないんだろう。幹部にでも何か言われたのかな。

 追ってくる構成員に弓を構え、矢を放つ。もちろん微塵も当たらないように。首刈り刀を勢いよく振る、その構えのところで「跳躍」した。目で私を追う構成員。空中で体を捻り、落ちる前に弓弦を引き絞って炎の矢を放った。川原のバクダン樽に着火し、大きな爆発が起きる。構成員には当たらずただ灰色の煙が広がるのみで、地面に舞い降りた後、それを煙幕にして逆方向へ走り出す。そんな私に驚いたセグロヤギが逃げ、アオバサギも空へ羽ばたいていく。何も考えずまっすぐ道なりに、全力疾走した。

 

 

PM1:00

 

 荒くなった息を整えながらおそるおそる振り返る。構成員の姿が見当たらないことを確認して、安堵の息をついた。怪我をさせないように注意を払って爆発させたつもりだが……あの素早い身のこなしで回避してくれたことを祈るしかない。後ろを気にしながら、再び旅路に戻ることにした。

 壊れた荷車を観察しつつ小さな林の中へ入っていく。木漏れ日を浴びつつ正面を見ると、立派な砦が見えてきた。門の中央にハイラル王国の紋章を掲げ、大厄災で負った損傷を木材で仮に補修した状態でもなお荘厳さを醸し出しているハテノ砦。その形とハテノ村が今でも残っているのは、師匠が最後まで戦ってくれたおかげなのだ。

第1章 13話

―戦う者が居た証―

 

 

 

 林を進んでいくと、ハテノ砦を仰ぎ見ている旅人がいた。緑の髪を丸刈りにした、全体的に緑色の装い。周りの自然と同化してしまっている。

「このアングルもいい!」

 独り言が聞こえてきた。隣に並び立って一緒に眺めてみる。うんうん。確かに素敵なアングル。

「おっ、チィッス!」

 目を離してこちらを見てくれた。私も聞き慣れない挨拶ながら「チィッス!」と返す。

「俺の名はプリトスってんだ。アンタもハテノ砦を見に来たくち?」

「えっと、とりあえずはそうです」

「そうだよな! だと思ったぜ! このハテノ砦は大厄災からハテノ村を守った最後の砦! 一生に一度は見ておかないと! だよな!」

 プリトスさんのテンションが上がっている。相当なハテノ砦マニアなんだろう。

「そうですよね……! 私もハテノ村に生まれた者として、この場所をただの通過点だとは思わないようにしています」

「いい心構えだ! 後世の人がそんな考えを持ってくれているのなら、剣士様もさぞかし誇り高いだろうな!」

 嬉しそうなプリトスさんを見て私も嬉しくなる。たとえどんなに朽ち果てようとも、大厄災の凄まじさに対峙した者への感謝は残っていく。ハテノ砦の兵士、それと剣士様、つまり師匠がいたおかげで、ハテノ村は今も変わらず穏やかな時を過ごしているのだ。それは単に、奇跡の一言で片付けていいものではないだろう。

 ハテノ砦に目を戻したプリトスさん。私は少し礼をしてから、道を外れ、林の中に足を踏み入れる。木の下のヨロイダケ、ハイラルダケ、ガンバリダケをテンポよく採り、赤く熟したリンゴも収穫した。またガンバリバチの巣を見つけ、謝って奪取。走り回って回避する。残念ながら、人は周りを利用しなければ生きていけない生き物なのだ。空気さえも消費してしまいながら息を整えて、料理鍋のほうに向かう。お腹が空いた。手に持っている食材を見ているだけでも涎が出てくる。何でもいいから口に入れたい。リンゴ、ハイラルダケ、ガンバリダケ、ヨロイダケ、ガンバリバチのハチミツ、それぞれ1個。

 楽しい料理のお時間です!

 

 

 黙っていると食べてしまいそうだったため、食欲を抑えるためにも勢いよく鍋に投入した。腰をかがめてそのときを待つが、お腹が空きすぎて全然待っていられない。

 よし、隙間時間活用だ。弓と矢を取り出して、その場で構える。見えた先にはガンバリバチの巣が2つ。集中すると他のことを考えずに済むため、その効果で空腹を紛らわせる作戦である。キリキリと鳴る弓弦を放し、まっすぐに射る。地面にボトリと落ちた。そのまま位置をずらし、もう1つも落とす。矢とガンバリバチのハチミツを回収して戻ってくると、ちょうど白い煙が上がって顔にかかった。

「わぁ……!」

 結果は成功だった。

 抑えた食欲が再燃する。煮込まれた甘露煮キノコが、料理鍋の中で私を待っている。

「いただきます!」

 お皿によそっていく形で食べてみた。ガンバリバチのハチミツによる濃厚で奥深い味わいを堪能しながら、ガツガツと食べていく。甘辛い味が癖になる美味しさだ。底に残った汁さえも絶品で驚く。さすがキノコトリオ。旨味の団塊

 ふぅ、と満足の溜め息をついてから、腹八分目のちょうどいい塩梅で食事を終えた。口の周りを拭きつつ、パチンと手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

 

 

PM2:15

 

 ハテノ砦を潜ると、クロチェリー平原の涼やかな風が私の髪を靡かせた。新緑の草の絨毯が眩しく、思わず目を細めてしまう。こちら側に木や障害物があまりないのは、大厄災の影響であろう。

 横を見ると、大厄災の際に猛威を振るったというガーディアンの朽ちた残骸が大量に見えた。もともとはハイラル王家の守護者として動いていたのだが、厄災の瘴気に侵され、敵側に回ってしまった悲しき魔物である。その表面には苔が蔓延っており、長い年月の流れを想起させた。足が切られて動けなくなっているものが多い。大厄災のとき師匠が斬ったのだろう。近づいて調べると、まだ古代のネジが取れる。

 水溜まりをパシャパシャと抜け、屈んでシノビタニシを採る。ボコブリンや岩を吐いてくる森オクタの攻撃を躱し、踏み固まった道を通った。クロチェリー平原にはかつて建物があった証拠に壁や柱がところどころに見られるが、残念ながら今は魔物に占拠されている。

 正面に見えるのは双子山である。まだそう呼ばれている理由の部分は分かりやすく見られないが十分立派な姿に見惚れていると、地面にいたアオナミスズメの群れが急に飛び去った。驚いてちょっと跳ねてしまう。道端の木からも唐突にゼリー状魔物のチュチュが落ちてきて、思わず大声をあげてびっくりしながら兵士の剣で攻撃した。下手なりに振り回し、チュチュゼリーをゲット。

 またもや分かれ道だ。右に行くとカカリコ村に着くが、目的地はその方向ではない。素直に左折。遠方に淡く光るハテノ塔が見えた。こんなところまで来たんだな、と感傷に浸っていると小雨が降ってくる。かろうじて手で防ぎつつ走った。双子馬宿が見えてくる。馬の頭の形を布などで模しているデザイン性の高い建物。屋根の下に体を滑り込ませると、雨粒の音がなくなった。

 

 

PM5:00

 

 双子馬宿の中はランプにより暖かい雰囲気で包まれており、旅人を癒やす安心感がある。空を見上げつつ外に出ると、カウンターらしき場所にいた馬宿協会委員さんと目が合った。独特な赤の帽子と緑のマフラーをかけ、暖かそうな格好。意志の強そうな眉毛と髭の男の人である。

「ようこそ! ここは馬の管理や宿泊ができる馬宿でございます」

 片手で小さく手を振ってくれる。振り返してこんにちはと挨拶すると、その目が優しくなった。

「……おや? こちらのご利用は初めてですね? 馬宿のシステムは熟知されてますか?」

「い、いえ、実はさっぱりでして……」

「それでは僭越ながら説明させていただきます」

 腰に手を当て、姿勢を改めてくれる。

「ここではあなたの所有する馬を預かったり、連れ出したりすることができます。また旅の途中野生馬を見たかと思いますが、その野生馬を捕まえてここにお連れください」

 確かにクロチェリー平原には馬の群れが数頭うろうろしていた。そのお馬さんか。

「野生馬をここに連れて来て登録すれば自分の馬……つまり所有馬にすることができます」

「おぉ! 自分の、馬……!」

「お1人が所有できる馬の数は最大5頭まで。もちろん気に入った馬を入れ替えれます。野生馬を捕まえる方法をお聞きになりたいですか?」

「は、はい。お願いします!」

「それでは僭越ながら説明させていただきます」

 そのままの姿勢で続けてくれた。

「野生馬を捕まえるには背後からゆっくり気づかれないように近づいて飛び乗るだけです」

 気づかれないように、というのはシカ狩りで習得したためそれを応用すればいいだけなのだが、飛び乗るのは全然自信がない。

「中には暴れ馬などがいるので暴れたらすかさず宥めてください。そのうち大人しくなるのでそうなったらここまで連れてきてください」

 どうしよう、私にできるだろうか。

「ただし野生馬というだけあってすぐに人には慣れませんので、勝手に方向を変えたりスピードを落としたりと結構気を使いますよ」

 馬宿協会委員さんが少し困り顔で言う。

「違う方向に進みだしたら、こちらだよ、と優しく指示してから宥めてあげてください。そうやって馬と交流していくことで、自然と懐いて言うことを聞くようになりますからね」

 時間をかけて仲を深めるのがいいらしい。新たなお友達ができるみたいだ。楽しみになってきて心を踊らせている表情が分かりやすかったのか、馬宿協会委員さんが静かに苦笑した。