第1章 20話
―風斬り刀の執行者―
PM4:05
前方の崖にはみ出すように見えてきた、闘技場跡地。円形の建物の中には、師匠のように英俊な者でないと太刀打ちのできない魔物たちが大勢蔓延っているらしい。ハイラル図鑑の魔物の項目を思い出していると、「旅の方!」と木の下で私を呼ぶ旅人がいた。リュックに付けたランプで、白い髪、薄青の旅衣、茶色のブーツを照らしている。ヒグレから下りて話を聞いてみた。どうやら占い師さんのようで、私の顔に苦難の相が出ていたらしく、これからの運勢を占ってもらう流れになった。神妙な面持ちで話し始める。
「赤い色が見えます……」
「赤? 赤色のものですか。何でしょう」
「それはそれは美しい赤……」
「ポカポカ草の実、とかですかね。タバンタ辺境やゲルド砂漠などの地域で手に入りやすく、サトリ山の東に群生し、その辛味を表すような赤が」
「あなたの血の色です!」
「……はぇっ!?」
「お命ちょうだいする!」
突然、赤い煙が広がった。言葉の意味と状況を飲み込めていないまま、一度距離を取られる。先ほどと姿がまるで違った。隠密行動において優れるような赤いスーツを着ていて、顔には目の形のマークがついた仮面。またしても。
「イーガ団っ!?」
し、しつこい。クス湖の右側で遭遇したボコブリンぐらいしつこい。しかし首刈り刀を持っていたイーガ団構成員とは別人のようで、携えた二連弓が禍々しい色合いを見せている。本当に何の目的で、私を……誰彼構わずお話しちゃうのが悪い気もするけど……まぁいいや、とりあえず、苦難の相を現実にしたくない!
素早くヒグレの背中に上がる。同時に構成員がその場から消えたと思ったら、後方に赤い札を撒き散らして空中に現れ矢を2本ずつ放ってきた。馬上で身を屈めて躱していく。滞空技術に関してはいろいろ教えてほしいが対人で実践してほしくないなと思いつつ、前に向けていた目をイーガ団に移して一瞥。眼前に迫る矢。反射的に拍車をかける。咄嗟の判断で躱せはしたものの、鼓動が荒ぶって落ち着かない。深呼吸で誤魔化した。
速度を緩めずに直進する。両手側を崖に挟まれ、閉鎖感のある道。だんだんと石のタイルが土の道に変わるように、空から大粒の雨が降り、大地を侵食していった。右手で頭上を覆うがそれだけで防げるはずもなく。諦めて土砂降りの雨を体で受けつつ、湿った手綱を握る。染み渡る水で全身が震えてしまう。仕方ない。雨宿り、しよう。
PM7:15
右の道に行くと平原外れの馬宿に着くが、今のところその姿は見えない。道が通っている場所以外の景色は崖の壁で遮られている。左側の道からはゲルド高地の赤茶色が覗いていて、手前に比較的大きな木が見えた。そこで雨宿りしている旅人に話しかけようとヒグレの歩みを止める。
雨音の先で聞こえた、煙の広がる音。小高い岩の上に仮面を被った赤い人物が見える。構成員よりも遥かに屈強な体。携える長く鋭い風斬り刀。あの姿はイーガ団、幹部だ。逃げようとヒグレに拍車をかけようとしたところで、先ほどの旅人が木の盾と旅人の剣を持ったのが見えた。依然止むことのない雨と、遠くに聞こえる雷の音に掻き消されないよう、叫ぶ。
「そこの旅人さん!」
呼ばれたことに気づいた旅人さんが、素直な動作でこちらに振り向く。真ん中で分けた黒髪と四角い眼鏡。真面目そうな方だった。
「相手はイーガ団幹部です。逃げてください!」
「こう見えても俺はまあまあの用心棒だぞ。怪しい奴の撃退なら任せてくれ!」
「あぁ、待ってくださいっ」
首を回してゴキゴキと鳴らす幹部に剣を構えて走っていく旅人さん。相手が風斬り刀を縦に振ると、風が鋭く流れていき、その斬撃がビームのように見えた。真空波だ。咄嗟に前に出て兵士の盾で受ける。しっかり衝撃があった。
「大丈夫ですか!?」
「あんた、そんなことより前を見ろ!」
え、と呟きながら言われた通りにすると、幹部が一度離れたのが見えて。何か赤く光るものを持って地面に付け、そこから私に向かって風を巻き起こしながら地面が迫り出してくる。急いで旅人さんから離れ、後ろに「跳躍」し、弓を引き絞ろうとするがやはり躊躇してしまった。何も当てることができないまま地面に下り、地面の迫り出しから逃げるが石柱を突き出され、足に当たって前に吹っ飛ぶ。旅人さんが駆け寄って来てくれようとするが、私の叫びで行動を止めた。
「走ってください! 平原外れの馬宿に、早く!」
立ち上がり、小高い岩を踏み台に「跳躍」。牽制の意味で矢を数本射る。幹部の足元に刺さるが、怯むことなく風斬り刀を横に振ってきた。着地しようとした場所に振られ、顔に鮮血が走る。頬と足に雨の雫が染み渡っていく。
幹部は風斬り刀を構えながら移動し、地面に足をつけた私に疾風を飛ばす。躱して弓を引き、打ったのは氷の矢、しかし相手に当たることのない矢じりたちは道に刺さっていく。馬宿に向けて走っていた旅人さんがこちらに振り向き、少し呆れの籠もった目で見つめてくるのが見えた。その声には怒りも混ざっている。
「あんた……まさか、わざと外しているのか!」
「そう、です! どうにか相手を傷つけないように倒そうかと思っています! その後で私を狙う理由を聞こうかと!」
「そんな甘い考えで戦いに挑むのはどうなんだ! 相手はイーガ団幹部だって言ったのはあんたじゃないか、さっさと逃げたほうがいい!」
「そ、それは」
「あんたがやられちまうぞ!?」
もっともすぎる意見にぐうの音も出ない。こうやって幹部の攻撃を躱している間にも体力は消耗されていくわけで、最悪の場合倒れるか倒されるかになる。それでも、私は、加害者には。
「物理的にも、精神的にも、何人たりとも、傷つけたくないんです! 相手に苦しい思いをさせたくないから! 私はっ、無害だから!」
「そんな場合じゃないだろ!?」
「お気遣いありがとうございます、旅人さん! 逃げてもきっと追ってきますし、こうやって周囲の人を巻き込むのは嫌なので、ここで、終わりにしようと思います! でも傷つけはしません、話し合いで和解します!」
「……分かった、聞け」
旅人さんの声色が変わった。雨水を飛ばしながら振り向くと、その目は真剣で。
「あんたの戦い方は甘い。だが、その考えは好きだぜ! 誰であろうと暴力で解決せず、直接! 向き合う姿勢……投資だ。使ってくれ!」
振りかぶった旅人さんが何かを投げた。右手で掴む。矢じりが黄色い、電気の矢の束。
「あんた腕は確かなんだろ、きちんと狙って外しているからな。それを前提で言うが、傷つけたくないなら攻撃の手を止めちまえばいい! 俺にはこれぐらいしか助言できないが。逃してくれて礼を言う! あんたも無事に帰ってこい!」
「……ありがとう、ございます!」
旅人さんは戦闘の邪魔にならないよう踵を返し、足早に離れていく。その背中にお礼を言い、幹部を見据える。気だるく首を鳴らしていた。
武器を騎士の弓に変え、体勢を整える。旅人さんのヒントと導き出した打開策を頭に入れ、実行に移す。水溜りに波紋をつけながら走り出し、横に薙ぎ払われた風斬り刀をバク宙で避ける。「跳躍」を混ぜて高さを出し、落ちていく隙に矢をつがえた。人の顔を狙うなんて私にはできない。傷つけたくないなら攻撃の手を止めればいいのだと。張った弓弦を離す。狙うは刹那、電気の矢。
「痺れて、くださいっ!」
叫びで勘づいた幹部が避けようとするが、そこには地面に刺さる氷の矢。雨と重なった微々たる氷の力が幹部の足を凍らす。その近く、足元に刺した電気の矢。その力が抉れた水溜りに伝播していき、ドーム状に緑の電流が流れた。幹部は身を震わせ、絶え間なく電圧の攻撃を受け続けている。私が着地したと同時に効果が切れ、地面に倒れ込んだ。駆け寄った後しゃがんで声をかける。
「……お話を、してくれますね?」
幹部の体が動くことはない。まさか命を、と仮面を取ろうとしたそのとき。足を掴まれた。
「っ、何!?」
後ろに気配。もう一人のイーガ団構成員に肩を掴まれる。肘をぶつけようとするも、体術など経験のない私はお腹を押しただけで。手の力が強く、抜け出せない。幹部が立ち上がり、泥を粗方払って、表情の読めない仮面でこちらを見つめてくる。逆さまになったシーカー族の紋章をゆっくりと伝った雨滴が、私の頬にかかる。
「クックックッ、どこまでも甘いですねぇ……」
喋った、と話し合いの選択が出てきたことに希望をもてたのも束の間、風斬り刀を首に突きつけられ、先端で刺してきた。赤い血が喉元を流れるのが分かる。結局、力では勝てないことが悔しくて、旅人さんに申し訳が立たなくて、息ができないほどの恐怖と絶望に侵される私は、真っ暗になった思考の中でプツリと意識を失った。
そんなふりをした。がっくりとうなだれると幹部はおもむろに風斬り刀を外し、私を俵持ちにして何かに落とす。ヒグレのいななき、イーガ団の狼狽える声。薄く目を開けると、正面に道、右に大きな木、左に小高い岩が見える。イーガ団構成員、足元には私の騎士の弓。どうやらそれを奪いに戻ったようで、ヒグレが構成員に脚を蹴り上げて襲いかかっているようだった。踏みつけたヒグレは私に向かって駆けてきてくれようとするが、徐々に地面が動き出してしまう。乗せられているのは荷馬車だった。力を振り絞って伸ばした手は、どんなに頑張ってもヒグレには届かなくて。
ふりをしたとはいえど途切れ途切れになった意識が、かろうじて思考を回す。捨ててあるかのように横に置かれたリュック。その中身、背中に近い部分に日記がある。ポーチの紙と筆で走り書きし、見返しに挟み込み、滑り込ませるように投げた。無事木の幹近くに着地したそれは、雨にページを濡らすことなく背表紙を見せていて。どうか冒険日記が繋がりますように、と微かな願いを込め、強い疲労と痛覚に目を閉じたのである。